celtis

日々思うことを

岡山の桃太郎

2022-02-21 14:22:00 | 日記
桃太郎由来の地は愛知犬山など数カ所あるけれど
最も有力とされているのが、岡山の吉備地方でしょう

ここには異国から渡来し山の上に城を構え
製鉄の技術を伝えたとされる温羅(ウラ)が地域を治めていたが
ヤマト王朝の崇神天皇が将軍を派遣して
激戦の末に倒したという伝説があり
ウラという鬼の住む城、特産の桃、吉備=キビを舞台とした
要はまつろわぬ民を中央政権が倒して支配して
これを正当化した物語があります

池澤夏樹は桃太郎について
《日本人の(略)心性を最もよく表現している物語は何か。ぼくはそれは「桃太郎」だと思う。あれは一方的な征伐の話だ。鬼は最初から鬼と規定されているのであって、桃太郎一族に害をなしたわけではない。しかも桃太郎と一緒に行くのは友人でも同志でもなくて、黍団子というあやしげな給料で雇われた傭兵なのだ。更に言えば、彼らはすべて士官である桃太郎よりも劣る人間以下の兵卒として(略)、動物という限定的な身分を与えられている。彼らは鬼ケ島を攻撃し、征服し、略奪して戻る。この話には侵略戦争の思想以外のものは何もない》

というようなことは
語られずに、今も絵本などでは悪い鬼を退治したヒーローとして
読まれているのでしょうね

ところが
岡山に残る伝承では
https://www.city.okayama.jp/museum/momo/story/index.html
と、決して良い子の桃太郎ではなく

キビ団子の話も
「お腰のものはなんでござりゃ」
「日本一のトウキビダンゴ」
「ひとつつかあせえ、お供します」
「ひとつはどうなん、半分やる」と
と打算的でもあるのです

そこには中央政権が押し進める善なる者による国家統治への
疑問や抵抗が隠れ見えると思うのは
穿ちすぎるでしょうか


話しは戻りますが
鬼の城は7世紀後半に標高4〜500メートルの高台に
周囲2〜3キロの土塁を積み上げて造られたもので
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実際に登ってみても階段の一段一段が高くて
当時の小柄な日本人が登るのは不自然な造りでした
やはり2メートルくらいの大男、ウラの城と見るのが
ロマンとしてもいいのですが、どうでしょう


みみらくの島

2022-02-12 16:38:00 | 日記
そうとう昔のことですが
八重山のなかの黒島で 
島の祭にたまたま触れ合うことがありました 

祭神は ミルク様 
写真(ネットからひろっています)のとおり 
真っ白なふくよかなお顔です 

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柳田国男が晩年「思い残すこと」として  
「弥勒の出現を海から迎える行事が遠く隔てた南北にある」として  
沖縄八重山のミルク神、鹿島の鹿島踊り(弥勒神)をあげ、 
さらには中世文学によくあらわれる美々良久の島、三井楽の崎と 
ニライカナイとの関連を知りたい  
と書いていて ミルク 弥勒 みらく の関わりを示唆するなかで 
「ミルク」は「弥勒」なのだと知ったわけですがー

いずれも海の向こうから訪れる「まれびと」であり 
ニライカナイなり西方浄土なりから
五穀豊穣をもたらせてくれる 渡来神なわけです 

この柳田国男の一文にある美々良久の島も興味深い伝承があり 

藤原道綱母の蜻蛉日記に 
「亡くなった人が再び現はれる島があるが、近づくと島の姿は消え失せてしまひ、
名だけが人に知られて「みみらくの島」といふのだといふ。」  
と書かれています 

この美々良久が 
今の五島列島の西の端、福江島の三井楽の崎と言われているそうです


校歌のない自分達の高校の分校に校歌を作ってほしいと
ラジオのDJをしているユーミンにリクエストして生まれた
「瞳を閉じて」も
五島列島の中程にある奈留島が舞台

五島列島には隠れキリシタンにちなんだ伝説も多く残っていて
美しい海の写真を見るたびに
いつかは訪れてみたい場所


やって来たのは、ガスコン兵

2022-02-03 16:16:00 | 日記
借りた本に
太宰治のことばが曳いてあり

「やって来たのは、ガスコン兵。」という、なんとも意味の知れない、
 不思議すぎて、ばからしい言葉が、全く思いがけず、
 ひょいと口をついて出たのである。それも、一度や二度ではない。
 むやみ矢鱈に、場所をはばからず、ひょいひょいと発するのである。
 「やって来たのは、ガスコン兵。」

そう、そうなんです、太宰君 という感じ
ひょい、と口をついてでたことば
なにかの必然性はあるのだろうけれど
なぜ今その言葉が出て来たのかわからない
そんなことが稀にあります
稀にあるのだけれど
それが続くと何やら気持ち悪い

それがある日ふとわかる時もあるけれど
ふとした言葉は
概ね暖かい記憶につながっているようです

ところで
このガスコン兵を曳いているのは
北村薫さんの「中野のお父さん」
素晴らしい構成力です

ガスコン兵に関しては
少しばかり曰く因縁があって
中学生のとき読書グループがあって
ある日「ガスコン兵って知っている?」と聞かれ
「あら、シラノに出てくるの」と言われ鼻白んだことを
思いだしたのです
ちょいと苦い思い出


少し駄文を続けると
このガスコン兵のキーワードの一つが
一つ前の短編の「水源地」
フィールドや時代性を共有する人たちが持つ
コモンセンスのようなものでしょうか

言葉を使うときには
使い方も注意しなければならないですね
このブログなどは
わかる人だけに書いているつもりだけれど