celtis

日々思うことを

水の流れに

2022-05-22 12:52:00 | 日記
オフィーリアを描いた

ミレーの絵は
ハムレットの一場面から描かれている





「すてきな花輪を、垂れた枝にかけようと、柳によじ登ったとたん、意地の悪い枝が折れ、花輪もろとも、まっさかさまに、涙の川に落ちました。裾が大きく広がって、人魚のようにしばらく体を浮かせて―――そのあいだ、あの子は古い小唄を口ずさみ、自分の不幸が分からぬ様子―――まるで水の中で暮らす妖精のように。でも、それも長くは続かず、服が水を吸って重くなり、哀れ、あの子を美しい歌から、泥まみれの死の底へ引きずり下ろしたのです。」
オフィーリアは、どんな歌を歌っていたのだろう

オランダの設定の舞台だけれど
オランダにはこのような流れはなくて
この川の流れはミレーの故郷 イギリスのものだそうです

思わずオフィーリアが現れそうと思ってしまう景色が

安曇野でも見られます







大王わさび農場のここは
黒澤明監督が「夢」の撮影のために
この水車を立てたそうだけれど
昔からここにあるような景色です


黒澤監督はここで
どんな夢を見たのだろう




この流れを見るためだけでも

また、この地を訪れてみたい


https://youtu.be/cxtAqpVOAT8




雪の大谷

2022-05-21 00:02:00 | 日記
死ぬ前に一度は見たい景色
10本の指に入れていたひとつ
立山黒部アルペンルートの雪の大谷



扇沢から電気バス


黒部ダム、黒部湖


ケーブルカー、


ロープウェイ


大観峰


トロリーバスで立山室堂まで2時間弱
ここから大谷walk40分
少し溶けてきても15メートルある氷壁は圧巻






白い雪
空の青さ
真っ直ぐに切り裂く飛行機雲
太陽にかかる日輪
雲にかかる虹の彩色


言葉を連ねるしかできないもどかしさ
せめてこうして留めておく






いつでも 心に 花束を

2022-05-09 14:18:56 | 日記
最近
寺社を訪れると
手水鉢が使えないためか
代わりに
花手水が設てあり
それぞれ彩り鮮やかで
暖かい気持ちにさせてくれます

花の盛りを切り落としてどうなのか?
という人もいるようだけれど

これからお参りするひとたちが
花たちを見て
ある人は思い詰めた気持ちを少しほぐせたり
ある人はより健やかな気持ちでお社に向かう

心に癒しを求める人たちは
まず花手水に出会い
ひとつ違う心象風景に出会う

そんな力があると思う空間です





時間を感じるためには、心がある

2022-05-09 10:03:00 | 日記
ミヒャエル・エンデの「モモ」に出てくる言葉

「光を見るためには目があり、音を聞くためには耳がある。

 それと同じで、時間を感じるためには心がある。」


はじめてエンデの本に接したのは

たしか大人になりかけの頃  ーなにが大人 かは知らないけれどー

バブル期に続くキャッチアップ 追いつけ追い越せの時代

時間をいかに有効に使うかがハウツー本などにも溢れていて


そんな時代の中で出会ったエンデは

はてしない物語 が先だったかも知れない

モモもはてしない物語も児童書として販売されたけれど

どちらも大人が一歩立ち止まって

振り返ってみるのに最適な本

効率的なことを否定するわけではなく

どこに大事なポイントを置くのか

数値を求める人にも

説明できる自分でいること

いや、それも時間に振り回されることかな

難しい


心がなくなるということかと深く考えました

とりわけ

時間が有限だと考えるようにな年になってから尚更です


少し話がずれるけれど

映画になったネバーエンディングストーリーは酷かったですね

映画的にはNEVER ENDING ではストーリーが完結しないけれどね

エンデが訴訟を起こして

原作者から削除させたけれど

お子様の見るファンタジーでしかなかったです



下村槐太の歌から

2022-05-04 20:40:00 | 日記
くらがりに活けしあやめや時鳥

夜中のあやめの青さと夜鳴く時鳥の高い声
5月の夜は意外と深く
心を不安定にしてくれる

ふきのとうが歌う「ほととぎす」も

もうはばたけぬ ほととぎす
その身をなげいてか 故知れず悲しげに
と歌い

古の歌にも

ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば
ただ有明の 月ぞ残れる
とうたわれていて

あの存在感を表す声と
存在の不確かさが
どうもあやうい感覚を引き起こすのかも知れません