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日本文化講座⑩ 【日本語の特性】

2019-05-31 15:15:06 | 日本文化講座

■ 音読みの日本語 vs 訓読みの日本語 ■

 日本語が上手になった留学生達は 「日本語を話していると気持ちが優しくなる」 と言います。一方、普通の日本人は、中国人や韓国人が母国語で話しているのを聞いていて 「少し乱暴な言葉に聞こえるなぁ」 と内心では思っているのです。何故でしょうか。  日本語で漢字を読む場合、日本古来の大和言葉の読み方である 『訓読み』 と、中国から伝わってきた漢語の読み方である 『音読み』、二つの読み方あることは、皆さん御存知の通りです。 『訓読み』 と 『音読み』 を対比した表をご覧ください。


 読み  読みのルーツ  外海   内海    読み方の違いによる日本人の感じ方

 音読み 漢語(中国語) がいかい ないかい   大きい感じ・外的・外交的・意思的・量的

 訓読み 大和言葉   そとうみ うちうみ  小さい感じ・内的・内向的・情緒的・質的

 

音読み訓読み、いずれであっても辞書を引けば同じ意味になってしまいます。しかし日本人は、全く同じには感じていません。読み方が異なれば、感じ方は違うのです。内海(ないかい)と読めば、“客観的に外の世界にあるもの” と感じ、内海(うちうみ)と読めば “心の中にある小さな海” という風にも感じられるのです。どの漢字であれ、音読みと訓読みによる感じ方の違いは、上記の対比表に記述したようになります。  日本人は、読み方の違いを巧みに使い分けてきました。幼少の子供たちが覚える 「童謡」 は殆どが訓読みです。また 「演歌」 という情感の世界を表現する歌謡曲の歌詞は自ずと訓読みが多く用いられています。音読みにしてしまうと 「演歌」 にならないのです。では、音読みが主体の歌はあるのでしょうか? あります。 「軍歌」 です。1900年代前半の戦争の時代、日本人全体の覇気を鼓舞するために作られた軍歌の歌詞は、殆どが音読みで構成されていたのです。

  《参考》 朝鮮語の “ハングル” は日本語の “ひらがな” に相当しますが、ハングルには、日本語の訓読みに相当する

       読み方の単語は殆ど残っていません。朝鮮固有の文化は絶たれているようです。

 

■ 日本古来の文化芸術 “ 短歌 ”の世界に見られる日本語の特性 ■  

『万葉集』 は5世紀から6世紀にかけて書かれた短歌を集めた、日本最古の歌集です(日本文化講座⑤ 「天皇・言霊」 参照のこと)。この時代は、中国から様々な文献が流入していました。有閑な貴族階級は、漢語の仏教文献を読んでその思想を深く吸収しつつ仏教文化のパトロンとなりました。また、中国の詩人の漢詩を読んでその文言の一部を自らの短歌に取り込むことで教養を競ってもいました。漢語文化の最大の理解者であり、日本語に音読みの漢字を定着させた功労者である貴族階級の読んだ歌が、『万葉集』 の中には幾つも集められています。  このような時代背景の中で成立した 『万葉集』 です。では、『万葉集』 の中に、音読みの歌は何首選ばれているのでしょうか? 一首も選ばれていないのです。政治制度や仏教思想や漢詩など、すべて漢語文献を通じて、日本に多大な影響を与えていたにも関わらず、音読みは、神代の時代から伝承してきたといわれている日本古来の文化芸術である短歌の世界には、影響を及ぼしていなかったのです。

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『万葉集』 の後に編纂された 『新古今和歌集』 の選者である藤原定家と藤原家隆の二人は、『古今集』における秀歌として、期せずして同じこの歌をあげました。

     有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし

 意味を先に考えようとする現代人には、これが最高の歌であると評価される理由が分りづらいのですが、古代の日本人は、意味よりも音(言霊)が形成する世界を敏感に感じ取って評価していたらしいことは分かるのです。

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 大和言葉の短歌のみを収集したことは、『万葉集』 や 『古今集』 の選者が保守的だったからという理由ではありません。現代人より繊細な感性(霊性)で音を看ていた古代の日本人は、大和言葉(訓読み)の中にしか美しさを感じられなかったのです。 現在の日本にも短歌を愛好する人々は多く、短歌に習熟すればするほど、大和言葉の美しさに魅了されてゆくのです。言い換えるならば、大和言葉は、神代の時代といわれる太古の昔に、既に言霊として完成されていたのだと思うのです。

 

■ 日本語と日本人の脳の特異性 ■  

 下表は、日本人と外国人を被験者とし、3つの音を聞いてもらった実験結果の対比表です。

  ・母音とは日本語の 「あ・い・う・え・お」 であり、子音は母音以外の発音です。

   ・自然音とは川の流れる音や虫の鳴き声を意味しています。

   ・人間の脳の構造は、左脳と右脳に分かれており、左脳は一般的に言語脳といわれています。
 

被験者  母音 子音 自然音  結果の解釈           自然との関係 神との関係

日本人※ 左脳 左脳 左脳 全て言語脳で処理する (自然と会話する)  共生・親和的   血縁・祖先

外国人   右脳 左脳 右脳 言語脳の対応域が狭い (自然を雑音と感じる) 分離・対立的 契約

   ※1 厳密には、ポリネシア人だけは日本人と同じ結果

   ※2 日本人であっても、上記の結果を生ずるのは9歳まで日本語だけで育った人に限定される

 この実験結果から分るのは、「日本人は音として言葉を理解する傾向があり、外国人は意味として言葉を理解する傾向がある」 ということです。

  また、神道の基本思想である 「自然は神なり」 という発想も、虫の声や風の音に耳を澄ます日本人にとっては至極当然であることが分ります。

  さらに、神との関係であってすら 「契約」 とする聖書の発想も、自然から分離してしまった言語脳が、怖れを緩和するために、必然的にロゴス(意味)を主体とする言語文化へと導いてきたことの顕れであることがよく分ります。  ※2 は興味深いことを語っています。「両親が日本人であっても、幼少期に日本語環境に恵まれなかった子供は日本人の脳の特異性を持てない」 ということです。つまり、DNA(遺伝子)が日本人を作るのではなくて、日本語が日本人を作っているのです。

 

■ 音と質の日本語 vs 意味と量の外国語 ■  

日本語と外国語(日本語以外の言語)の違いについて、極論を恐れずに敢えて絞込んで記述するならば、以下のようになります。

○ 外国語は、単語の意味を限定して、文章は論理的に一意に定まるよう、量的な表現を多用する。      (外国語は武器となる)

○ 日本語は、単語の持つ音の組合せを活かして、解釈の多様性が生ずるよう、質的な表現になる。      (日本語は芸術となる)

  故に、外国人は 「日本人は何を言っているのか分らない」 と言い、日本人は 「外国人とのディベート(議論)は、チョー苦手」と思っているのです。日本人のこのような傾向は、とりもなおさず日本語の特性に起因しています。

 

 上記の言語対比を踏まえた上で、日本語の特性として欠くことのできない2つの重要なポイントを説明します。

○○○ 世界で最も《 繊細 》な表現をもつ日本語 ○○○  

雨や風といった自然の気象を表現する言葉や、魚を分類する言葉などの具体例を調べてみるならば、日本語の中に存在するそれらの数の多さに誰もが唖然とすることでしょう。日本語は、外的な事物を対象にした場合のみならず、内的な世界に向かう場合であっても極めて繊細なのです。  日本語、英語、中国語、台湾語の4ヶ国語を自在に語れる、台湾の李登輝・前総統は、「じっくり考えたい時、私は日本語で考えている」 と語っているそうです。  私は中国語を話せませんが、100ページ分の中国語を日本語に翻訳すると、どうしても150ページになってしまうことを経験しています。中国語には現在・過去・未来という時制がないこと等も原因の一つですが、対人関係や周辺状況などによっておのずと表現の異なってくる日本語の繊細さが、中国語にはないのです。  この言語的特長は、「日本人が中国人(外国人)に対して、相手を気づかった繊細な表現をしても無駄である」 ことを示しています。中国語には繊細な表現がないのですから、日本語の繊細さがおのずと生み出している 「日本人の謙虚な態度が、中国人(外国人)には伝わらない」 のです。また、「中国の政治的傲慢さの出所は中国語を話す民族であるから」 とも言えるのです。

○○○ 《繊細さ》それは日本語の中に生きている横の秘儀である ○○○

【現実世界での日本の優位性】  認知心理学の表現を借りると、「認識できないものは存在しない」 ことになります。言い換えるならば 「言葉で表現できないものは存在しない」 ということです。つまり、「細やかな表現を持つ日本人にとって存在する世界が、細やかな表現を持たない外国人には存在しない」 のです。このことを逆の方向から表現するならば、「言葉で表現できない外国人に創れないものが、言葉で表現できる日本人には創れる」 ということになります。  常に未知の領域を目指して開発されてゆく最先端産業技術の領域や、繊細な感情表現を背後に内包するアニメなどのストーリー展開において、日本語を話せる人のみが、常に世界の先頭に立って、開発し生産し表現し続けることになるのは必然的なことなのです。


  さて、次に 《繊細》 さ とは全く逆と思われる、《曖昧》 な 表現が活きる日本語の特徴を、その背景から探って見ましょう。

 ●●● 曖昧な表現が活きる日本語の背景 ●●●

 今日では、日本のアニメがもたらした 「カワイイ(可愛い)」 とか 「ビミョー(微妙)」 といった意味の曖昧な単語が、世界中に広がっています。輸入先の各国では、これらの言葉がいろんな場面によって、異なった意味に用いられているため翻訳できず、「日本語の音」 をそのまま印刷して出版しています。  言うまでもないことですが、日本語を話す日本人どうしならば、曖昧語を用いた表現でも即座にコミュニケーションが可能です。その理由は、「細やかな感情表現」 や 「音が媒介する意味の広がり」 を言葉の背後で共有しているからです。


■ 細やかな感情表現を持つ日本語 ■

 細やかな感情表現の有無を比較するには、小説や映画のラブストーリーの描かれ方を見るのが例として相応しいでしょう。  外国のラブストーリーの面白さは、階級や身分の異なる者どうしが、それらの障害を乗り越えて互いを求め合うという “ 状況の中 ” にある ものが殆どです。 故にストーリー展開に引き込まれる傾向があります。「ロミオとジュリエット」 や 台湾・中国でブレイクした 「寒玉楼」 など、みなこのパターンに分類されます。 一方、日本人が心打たれるラブストーリーとは、「相手を思いやる優しさ」 とか、「相手を労わる美しさ」 とか、「惻隠の情」 といった “ 情感の中 ” に見出されるものなのです。  繊細な日本文学や、日本映画だけを対象にし日本人の審査員だけが選ぶ日本映画大賞の最優秀作品の良さ(美しさ)を、外国人が分るかどうか、日本語の特徴から考えて、かなり難しいと思うのです。


■ 音が媒介する意味の広がりをもつ日本語 ■

 具体例を挙げるならば、「神」と「火水」、「姫」と「秘め」、「松」と「待つ」、「結び」と「生す霊」、「日の本」と「霊の元」、「性」と「生」と「正」と「聖」と「誠」、「愛」と「天意」、「真剣」と「神権」 など、神道の世界では、一つの音を聞いて同音の単語を瞬時に複数思い浮かべることは、「一を聞いて十を知る」 ための大前提になっているのです。神道の世界はここから始まると言っても過言ではありません。  派生的な事例ですが、日本語の特徴として、音で表現する擬態語や擬声語が非常に多いことが挙げられます。 「ヨタヨタ歩く」 と 「ヨロヨロ歩く」 の違いを日本人に説明する必要はありませんが、外国人にこの違いを理解してもらうためには、ややこしい単語を用いて説明することが必要になります。 前編に記述してきたように、古代の日本人は現代の日本人より遥かに音(言霊)に対して敏感だったようですが、現代の日本人であっても、音としての日本語の特徴に多くを依存して使い分けを行っているのです。


●《言霊》それは日本語の中に生きている縦の秘儀である●

【精神(霊的)世界での日本の優位性】

  音は言葉以前の原初的なものです。日本人が自然の美しさや自然に対する畏怖を感じた時、深い感情をともなって、「ああ」 とか 「おお」 等の母音の単音表現が出てくるのです。感情表現としての音、この原初的な音に細やかな感情表現が乗せられた時、日本語は繊細であるが故に強力なエネルギーをもった言霊となります。

  この原初的な音(母音)を日本語の中に持つが故に、日本は言霊を介して宇宙(神)へと通ずる回路を脳の中に保持している、世界で唯一の特殊な民族集団として<言霊の国・日本>を形成しているのです。

 <了>