Chiakiの徒然日記

シベリア抑留

最近ニュースでこの言葉を聞くことが多くなった。

何を隠そう、母方の祖父もこの中の1人だったのだ。
小学校の頃、戦時中の話を祖父母に聞いてこいという宿題が出され、家が近い
母方の祖父母に話を聞きに行ったのだが、祖父は全く話してくれなかった。
代わりに祖母が空襲の時にどうしていたとか、食べ物はどうだったとか話してくれたが…。

何かの折に「シベリアで捕まっていた」ということは耳にしたことがある。
そして帰って来たのが「昭和22年の○月」だとも聞いたことがある。
何月だったかまでは覚えていないのだけど、それを聞いた当時の私は
「お父さんが生まれたときは、シベリアにいたんだ…」
と思った(母方の祖父なので父とは何の関係もないんだけど)のを覚えているので、
早くても3月以降だったのだと思うんだけど…。(父が生まれたのは昭和22年2月14日)

祖父がシベリアでのことを語りたがらなかった訳、今ならば良く分かるが、
当時の私にはどうしても理解できなかった。
だけど、無理に聞き出すことじゃないということはなんとなく感じ取っていた。
学校で発表したときも、先生も特に突っ込んだことは聞いてこなかったので、
きっと先生も「触れてはいけないこと」だと思っていたのだろう。

そんな祖父も生きていれば今年90歳。
亡くなってもう14年が経つ。
今回の補償に亡くなった人間が含まれるのかどうかは分からないけど、
これまで蔑にしてきた人たちへの十分な補償はきちんとやり遂げて欲しい。

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