
地元紙夕刊で、続編が連載されているとあって、再販された「黄泉がえり」。
販売当初も、映画も全然触れていなかったので、この機会に読んでみることにした。
…夕刊を購読していないので、続編が読めないのが残念だが。
作中の年代と実際に連載されていた時期は同一と見ていいのかな。
熊本が舞台ということで、知っている地名がわんさか出てくる。
名前こそ出ないけど、県知事も市長も「あの人か!」と思う場面も多々あった。
あまり携帯電話の描写がないな…と思っていたのだが、連載されていた時期を確認して納得。
私もまだ携帯電話は持っていない時期だった。
普及はし始めていたけど、まだ持たない人も多かった時期だな…。
熊本市とその周辺で死者が「黄泉がえる」という事象が多発。
この「黄泉がえ」った人たちの戸籍やら死亡診断書の撤回やら、どうするかと、右往左往している描写が妙にリアル。
読み進めながら、私が気になった点が見事に回収されていくのが爽快だった。
ちょっと気の毒だな、と思う人もいたけど、それは仕方ないか~。
ある時期から、「熊本に巨大な地震が起きる」「その地震はマグニチュード7クラス」という予言が出回る。
黄泉がえった人たちから発せられるそれは、デマでも噂でもなく「事実」。
いくら「絶対に起きる」と言われても、それを行政として認めるわけにはいかない、という行政の立場も分かる。
その地震が起きる日には、黄泉がえった人たちは皆消えるという…。
あらゆる意味で「Xデー」。
そしてその日がやってくる…。
時期こそ違うが、実際に熊本でもマグニチュード7クラスの地震が起きて、多大な被害が生じた。
もし、この作品のようにあらかじめ分かっていたら…。
被害はもう少し抑えられた?
どうだろう?多少の備えはしていたとしても、大きな対策は取れていただろうか?
色々想像してみるが、やっぱり「起きないだろう」という願望込みの結論に達するんじゃないかという気がする。
続編も書籍化されたら読んでみることにしよう。