体質なのだろうけど、
少しずつしか、飲み込めないのだ。
幼稚園の頃、大人達が迎えに来てても、
お弁当を食べ終えてないから、
私だけ帰られずに、
泣きながら食べた記憶がある。
学校に上がっても同じ。
給食時間が終わり、掃除も終わっても、
5時限目も、6時限目も、、、、
もう放課後になって、
みんな帰宅しても、、、
まだ給食を食べていた。
何回、泣いたのか、
数えきれない位かな?
困ってる私をみかねて、
友達が、給食の量を減らしたり、
バレないように、食べてくれたり、
色々と助けてくれたのだが、
それでも、完食が出来なくて、
毎日、居残りさせられた。
この生活は、卒業まで続いた。
友達も、私が早く食べれる様にと、
目の前で、見本を見せてくれるのだが、、、、。
「ホーリー、こうやって食べるねん。
私の食べ方、見ててや!」
そう言って、
5回だけ噛んで、ゴックンしたのだ。
「ホーリーも、これ出来るやろ?」
やってみようとするが、
飲み込めないのだ。
「やっぱり、出来ないよ!」
「そうなんやぁ、
じゃあ、最初は、
飲み込む練習をしやなアカンわ。」
どうしても居残りしたくなかった私は、
夕飯時に、飲み込む練習を始めた。
それに気付いた伯父に、
「何をやってるんだ!
喉を詰まらせるから、止めなさい!」
怒られたから、止めたけどね、、、。
お稽古事は、上記の理由から、
遅い時間にしてもらっていたが。
今までで、一番困った時は、
美容師の頃だったかな?
美容室って、
1時間休憩の所もあれば、
20分休憩の所も存在する。
基本、お客様から、
いつ呼ばれても対応が出来るように、
みんな、凄く食べるのが早い。
私は、食べ終えることが出来なくて、
先輩に、
「時間だから、終了。
今すぐ、ご飯を捨てて!!」
後で聞くと、
食べるのが遅い後輩いると、
このやり方が一番良いらしい。
でも、直らなかった。
周りの人で、
一生懸命に食べてるのに、
あまりにも遅い場合は、
喉が、細いんじゃないかな?
そんな時、
怒らないであげて欲しいなぁ。
今も相変わらず、早くはないけど、
以前のように、
何時間も掛かることはなくなり、
少しは改善したかな?
と思う。
あっ!
今、思い出した。
小学3年の時、私の他に、
食べるのが遅い子は、もう一人いた。
その子も女子なんだけど、
食べ物アレルギーで、
醤油とか、麦とか、乳製品とか、
30種類位のアレルギーを持った子だった。
その子のご両親が、
アレルギー反応の出てる食物リストを
担任に見せてるのだが、全く通用せず、
居残りになっても、
全て食べるまで帰らさない!と。
で、その子は、食べてしまった。
当然、症状が出始めてくる。
最初は、斑点?みないなのが出現して、
5分ほど経つと、痒いのか、
全身を血だらけになる位に、
必死で掻いている。
私は怖くなってきて、
「これ以上は、ホント危険だから、
食べなくて良いんじゃないかな?」
と、その子に言ったら、
担任は、
「人のことを心配する前に、
貴女は、自分の食事に集中しなさい!」
と叱責されてしまった。
直後、担任は、その子に
「好き嫌いを言わずに、食べなさい」
と怒鳴っていた。
痒みの症状から数分後だったと思う。
何かの発作みたいな、痙攣が起きて、バタバタし始めた。
段々、意識が薄れてる様に、私の目には映った。
私の横の子が、命の危機だ!と、
小さいながらに、理解は出来た。
これは、普通ではない!と思い、
担任に気付かれない様に、
「校長先生に、救急車を呼んでもらって!
急いでよ!」
と友達に伝言した。
薬とか、掛かり付けとか、
子供の私には、何にも分からない。
この担任にも頼れそうにもなく、
校長先生に、救急車の手配とか、
処置をお願いするしか、
助からないと思った。
搬送されて行ったら、
命は、ギリギリ助かったけど、
暫く、入院することになった。
校長先生は、病院に付き添って行ったから、
教頭先生が、担任に注意していた。
食物アレルギーは、ホント危険だから、
学校の配慮も必要だと思う。
教師達にも、
食物アレルギーのことを
児童の命が掛かってるんだから、
もっと、もっと、
理解してくれる様な学校作りを
して頂きたいものだ。
ってか、
この時の担任、
これ以外にも多々あり、
保護者からのクレームが殺到し、
結局、3ヶ月間だけの担任だった。
追記、
最初は、遅食のことを書いてたら、
アレルギーのことになってしまってた。
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