私は、千秋楽の前の週の金曜日が自分にとっての千秋楽でした。
以前に見たときよりも舞台全体がスムーズに進んでいて、
途切れ途切れな感じがなくなり、ストーリーとして、言葉が
すんなりと頭の中に入ってきました。
だから、金曜日でかなり満足していました。
楽前の火曜日に当日券で見に行こうかとも考えていたのですが、
火曜日の段階で、満足感が残っていたので見に行きませんでした。
そして、千秋楽も見に行きませんでした。
しかし、楽にいった人の感想などを読んでいるとあぁ、行けばよかった
なぁなんてことも思いました。
何故、そう思ったか。
それは、見逃したシーンがあったんだということを知ったからです。
私はラストのシーン、ジャンヌが旗を掲げるシーンのとき、
松さんばかりを見ていて周りに全然目がいってなかったんです。
そのシーンのときに、照明がステンドグラスのようになっていたらしく・・・
それには全く気づかなかったんですよね・・・。
ちょっと周りが薄暗いなくらいは思ったけど。
それと、十字架が赤くなっていたっていうくらいは気づいたけど・・・。
だからラストシーン舞台全体を見たいなぁと思ったわけです。
・・・でも、気づいたのは楽後。仕方ありません。
NHKの放送を期待しよう。
この週の月曜日に「殺人者」という芝居を見たのですが、
それを見ることで、「ひばり」という芝居が非常にストレートな
芝居だなぁということが分かりました。
「言いたいことがわからない」という感想も目にするんですけど、
「ひばり」はものすごく言いたいことがはっきりしているような
気がします。
「殺人者」も言いたいことは「ひばり」と似ている気はしますが、
「ひばり」ほど、ストレートではなかった気がします。
以下、「ひばり」から思ったことを・・・。
ついつい、人に批判されると動揺して判断力の鈍る私。
それは、自分を守りたいという気持ちが強いからそうなってしまうんだろうけど。
けれど、周りに振り回されてその場しのぎをするだけでは、
本当の意味での自分を守るということにはつながらないんですよね。
偽りの自分で生活することが、どうして自分を守るといえるだろうか。
生きていることだといえるだろうか。
日常の生活のひとつひとつの行動に責任が持てるように
行動するっていうのはかなりの精神力が必要とされると思います。
「まぁ、いいか」と手を抜いたところで、面白いように、
事件というものは発生するし、手を抜いてしまえば、
自分に落ち度があるので、強くは出られないものです。
自分の行動に説明づけができることが大切なんですよね。
そのためには、自分の中に信念っていう大きな核があれば、
説明には困らないと思います。
それに従って行動していれば矛盾はおきないだろうから。
だから、ひとつひとつの行動を慎重にとらなければならない。
そう思うと疲れるんですけど、でも、それを続けることで、
考えて行動することが癖になればそんなには疲れないと
思うんですよね・・・。
ジャンヌだって最初は苦しかっただろう。
けど、それを続けることで、それがなければ生きていけないくらい、
そうであるのが当たり前となっていた。
最初は誰だって苦しいもんなんですよね。
だから、苦しい今はそのための一歩を踏み出す時だと思って、
いつかは乗り越えれる壁だと信じて進んでいくことが大切なんでしょうね。
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