えんじゃけん

SISTERS~その4(ネットの感想を拾い読み想う)

SISTERSの感想をネットで少し拾い読みしました。

すると自分と間逆の意見があってびっくり!
人によってこうも捕らえ方が違うのだなぁと。
そして、改めて「自分って楽天家なんだ~」と思いました。
ラストのシーンで馨の「はい」についての意見ですが、
私は、こっちの世界に戻ってこれたと思っているんですが、
そうではなく、戻ってもれず、馨は完全に壊れてしまっていると
捕らえた人もいるようで。
本当に人それぞれの解釈だなぁと思うし、そのように、いろいろな解釈に
もっていける作品って私はすごいなぁと思います。
見る側に選択権があるほうが、絶対に面白いと私は思います。

私の感想としては、最後のシーンはこっちに戻れたと考えているんですよね。
「戻れた」よりも「戻れる」という方が正しいかもしれないけど。

それと、ネットを回っていて疑問点を持っている人がいたので、
それにもここで答えてみようと思う。
(って、自分の解釈での答えなので、・・・違う可能性も大有りです)
壁にかかっている赤い絵はなんだ?って意見がありました。
私はあれは、蘭の花の絵かなぁって思っています。
あの花って女性のある象徴っていうか・・・、
性器に似ているっていうじゃないですか。
その絵にヒビが行っているのは、馨が父に犯された象徴かなぁと
思ったのですが・・・違ってたら恥ずかしいね。
っちゅうか、それじゃぁストレートすぎかぁ。

んで、最後のシーンのマンジュシャゲは血が流れ出ている表現なのか?
という疑問も見つけました。
それもあると思います。
それと、またまた個人的な考えなんですけど、
マンジュシャゲの話があるじゃないですか、途中に。
華は葉を恋しがり、葉は華を恋しがるけど、
同時に出ることはない(顔を合わすことはない)ってな台詞。
水の上に浮いているってことは、華が落ちたってことですよね。
華=父親の死を意味しているのかなぁって。
馨は父を愛していたことを自覚するけど、そのときは、父はもう
死んでいるっていう図かなぁと思ったのですが・・・どうなんでしょう?
つまりは、馨の気持ちが葉なのかなぁって。
父も馨を愛してたんじゃないかなぁって。
歪んだ愛だったとしても、きっと父にとって真実だったんじゃないかなぁって。

あと、近親相姦の何が悪いのか分からなくなったっていう意見もありました。
人が人を好きになるのは自由だと私も思う方です。
しかし、世の中にはモラルがあって、それに反するものは周りから
除外されたり、差別されたりする。
しかし、昔はそういった近親相姦なんて、当たり前の時代もあっただろう。
一応、近親相姦だと障害を持った子が生まれやすいって論があるようですが、
何が悪で何が善かって話になってくると、難しいですよね。
だって、馨だって本当は父親が好きだったのだから。
歪んだ愛というのは、周りが決めた言葉であって、
当の本人たちは本当に愛し合ってたのかもしれないのだから。
不幸と決め付けているのは周りかも知れないのだから。
・・・難しいですね。

今、書きながら思いました。
ラスト、マンジュシャゲは散って水の上を浮かんで舞台上に流れ出て
くるんですが、その水の中に馨は入っていくんですよね。
馨がマンジュシャゲに触れること・・・それは、つまり、
やっと、父親の愛に応えれた(追いついた)とも取れるのかなぁと。
いや、近親相姦を正当化してるんじゃないんですけど、
でも、そうともとれますよね。
決して会うことのない、華と葉が会ったとも取れませんか?ラストのシーン。
ずっと思い続けていたものがやっと会う事によって、
それまで繰り返されてきた、やり場のない気持ちの決着がついたように
思うのですが・・・。違うのかなぁ。
とにかく、私、いい方に考えすぎなのかも。

今後、また、他の人の感想を読んで、さらに感想を書くかもです。
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