中国へ行って来ました

3月26日から4月7日までの中国旅行記です

天安門 紫禁城

2012-04-22 18:37:57 | 日記
天安門 紫禁城



北京に到着した日はひどかった。
上海ツアーのバスの中で、隣に座っていたおじさんが、四日目位からマスクをしだしたので、いやーな予感がしたら、案の定、いただいてしまいました。
北京に到着した日に、すでに私と娘はのどが痛く、その上、北京の公害や喫煙者の副流煙が気管支に入り込み、ひどい炎症を起こして熱を出した夜。
幸い、北京はホテルを移動すること無く8日間同じホテルに滞在なので、出かけたくなければ籠っていたら良いし、ある意味助かった。

北京には、昼頃到着した。
空港は、なんとなく物々しくて、上海から北京に行くだけでもパスポートチェックがあったのには驚いた。
空港には水飲み場と、なぜか、湯沸かし器が。
誰もが自由に入れ物さえあれば、好きなだけお湯を持って歩ける。
ここでは、お湯を持って歩くのが当たり前らしい。
お迎えの人が、他のグループが来るまで1時間待ってくれというので、待合所で一休み。
その間も熱がこんこんと上がってきて、翌日の紫禁城だいじょうぶか?と心配だった。

夜は、タクシーに乗って、ローカルのレストランへ行ったのだけど、本当のローカルだったから、なんと、フォークが無いっ!!
フォークが無いレストランなど始めてだった。
有りなんだ。。。
帰りが大変だった。
タクシーが居ない。
居ない上にホテルを知らないドライバーだったからか、ちびっと遠回りされてしまった。
ま、仕方ない。

その夜は、18時に就寝。
寒気がついて、とんでもない夜をすごし、何度も目を覚ましながら朝を迎えた。




朝になって、娘の熱が下がらない。
私の熱も下がらない。
モーニングコールが来ても、行こうかどうしようか、悩んでいたけど、シャワーに入ったらちょっと元気になったし、紫禁城を見ずして中国へ行ったとは言えない!!と、二人でがんばって出かけることにした。

案の定、外は寒かった。。。
10度も無かった。。。
上海と違って北京は公害がひどく、空は曇りっぱなし。
この人たちは青空を見たことが有るのだろうか。
ビルの建て方も、街の整理も、東京に似ていて、今までの上海界隈と違って奇麗だった。
やっぱりオリンピックのあった街は、近代化していて、たくさんあるマンションの窓からは洗濯物が出てなかった。
だけど、「ああ、中国だな」って感じが、あちこちでしていた。
人々は、統制され、私たちが日本でよく見る中国がここにあった。
上海界隈とはエライ違いで、本当に同じ国なんだろうか?と疑ってしまうほど。

天安門広場は、広かった。
ここで、あの虐殺が行われたのかと思ったら、なんだか信じられないくらい平和。
それにしても観光客が多い。
そして、寒いから、帽子や手袋を売っている人も多い。
凧まで売っていた。
本当に広いところなんだけど、ほかに観光地は無いんですか?ってくらい、観光客で隙間がなかった。
これから、この人たちが紫禁城へ行くのかと思ったら、いやはや、どんなことになるんだろうか。

紫禁城は、清朝の最後の皇帝、溥儀が生まれ育った場所でもある。
中国の皇帝は、前の皇帝を殺して、その皇帝の血筋も殺して、新しく皇帝が立つという、血縁を無視したキングダムだったから、溥儀も人民解放の運動が起きたとき、この立派なお城から追い出され、最悪な余生を送ったという。
日本やヨーロッパは、お飾りだと言われていても、血筋が継続している家系だから、絶やそうとは思えないんだろうなぁ。

紫禁城が最盛期を迎えていたのは、明朝だった。
その時の皇帝は、奥様を3000人も抱えていたと言う。
そもそも北京は、5つの王朝で栄えた街で、あの有名なアヘン戦争も、王朝が起こしたようなものだった。
たくさんの政治的な渦が、ここ北京にはある。

しかし、紫禁城は広かった。
広い上に、どこに行っても人人人。
スリもひったくりも多いから、持ち物に気をつけろと何度も言われた。
そう言えば、知らないうちにバッグのファスナーが開いてるときがあったけど、あれは、スリに開けられたのだろうか、自分で開けたのだろうか?
水ボトルが入っていて、財布が見えなかったから諦めたのだろうか?
そのときは、熱が出ていて、ぼーっとしたまま人に押されて歩いていた。

石畳は、明朝のままでとても古い。
屋根の橋に動物が乗っかっているのだけど、それは建物の格を表す。
式典を行う建物は11頭の動物が乗っていた。
皇帝のベッドルームは、9頭。
事務室や召使い、門など、いろんなところに格付けが有って、女性が通れない門などもあった。
英語でForbidden Cityと言われているだけ有って、紫禁城が一つの街になっている。
ドア一つ分くらいの出入り口があちこちにあって、中は迷路のようになっている。
高いところに上ると、周りが一望できるし、細かくあちこちの部屋を見るのも良い。
きちんとした案内書があれば、個人で自由に1日かけて回るのが良いと思う。
ところどころ、ハンバーガーや飲み物、アイスキャンディーを売っている売店も有るし、のんびりできる。

紫禁城の後は、北京で一番おいしいと言われている北京ダックのお店でランチ。
実は、このお店、メルボルンに支店を出している。
北京ではどうやら、そんなに高くないらしいけど、メルボルンでは目が飛び出るくらい高い。
高い割には旨くない。
お茶が一人$4もする。
そこのお店は、清朝の時代から、皇帝が好んで注文した北京ダックと言うことで、北京で一番有名なのだそうな。
全体的に、北京の味付けは塩辛い。
そう言えば、日本の中華もやたら塩辛いところが多かったような気がしたけど、北中国の味なんだろうな。

ランチの後は、私と娘はリタイヤ。
二人とも熱があったので、タクシーでホテルに戻り、3時間くらい昼寝をした。
実は、メンバーに脳卒中で英語が話せなくなってしまった、おじいさんが居た。
彼は、お腹の調子が悪かったらしく、下痢をもらしてしまった。
そのおじいさんも先にホテルに帰ってきていたので、誘って晩ご飯に連れて行った。
中華でもどこでも良かったのだけど、お腹の調子が悪いので、何が良いのかわからないし、バイキングに行くことにした。
そこには、お粥や麺があったし、デザートもコーヒーも果物もあるから、きっと食べれるものがあるだろうと思って連れて行って正解だった。
言葉がわからないから、メニューを相談することもできないし、自由に食べれるものを食べれるだけ取ってくれて、楽しんでもらえた。

天津

2012-04-22 18:22:43 | 日記
天津



翌日は、万里の長城へ上る予定だったけれど、天津へ予定変更。
あの甘栗で有名な天津だったので、とても楽しみにしていたのだけど、案内されたお店で売っていた甘栗は、日本語が書かれていて、どうやら日本輸出用らしかった。
値段が出てなかったのは、なんと、それだけだったので、どんだけふっかけられるのか解らなかったし買うのを止めた。

天津のお店は、ローカルな人もたくさん行くマーケットみたいなところで、お茶から生魚まで何でも売っている。
印象的だったのは、飴細工。
奇麗に飴で龍を作っていた。
ここは、古き良き中国が残っている、本当に古い街なんだけど、最近、やっと近代化が進んできて、トイレにドアがついたとな!!!!!!!

そのマーケットの後に連れて行かれたところは、違うローカルな人たちも行くショッピングストリートで、翡翠や陶器、絵画、お菓子など、ありとあらゆるものが売っていた。
困ったのはトイレが無かったこと。
一つ見つけたのだけど、階段を上っていくので、なんだか、薄暗くて怖くて行けなかったんだけど、グループの人も一緒に行くというので、娘をバスに残して行ってみた。

階段を上ると、古本屋だった。
床の上に雑多に積まれている本を、あれこれ物色しているローカルな人を眺めながら、トイレに直行。
廊下の両側にお店があったのだけど、どうも、掛け軸にした絵画とか売ってるお店だった。
トイレはその中の一角にあった。
いざっ!と入って愕然。

ドアが無い。

正確には、3つあるブースのうち、真ん中だけドアがあった。鍵はかからないし、隙間から中がよく見える。
そして、そのドアには中国語で張り紙がしてあった、多分「大便禁止」ってな意味だったと思う。
いたいけな、わたくしは、やっぱりドア付きのトイレが良くて、前に入っていた人を待っていたら、おもむろにローカルの女性がやってきて、ドアの無い方へ入って行った!
奇麗な服を着て、ビーズの刺繍がついているジーンズを履いていたのに、ドアの無いトイレに入った!!
びっくりしたのは、それだけじゃない。
私の順番が来て、ブースに入った頃に、ドアなしトイレの女性の友達がやってきた。
二人は、用をいたしておられるというのに、笑いながら、顔を見ながら、会話をしていた。
顔を見ながらってのが、なぜ解ったかというと、ドアの隙間がでかすぎて、外が丸見えだったから!!
用をたしてる姿を見られても平気なんだ!!!

いやぁ~ ウェルカム トゥー ザ チャイナ! っすな。

最後に手を洗って、いやいや、すごい体験をしたもんだと、ちょっと嬉しくなって、ふと横を見たら、なんと、そこにはドアの無いもう一つのトイレの中に女性が座っていて、う○こをしていたではないか!!!
他人のう○こは、流れないトイレとかで見たことがあるけど、できたてほやほやを見たのは、初めて!!
頑張ってる顔を見たのは、子供が赤ちゃんの頃以来!!

うーん、なんてフリーダムなんだ。

なんか、私もローカルと一緒になってドアなしトイレに入り、う○こでもしてきたら良かったと、ちょっと悔しく思いながらバスへ戻った。

そう言えば、天津へ行く前は、北京のシルクファクトリーへ行ってきた。
私たちはすでに蘇州辺りで行っていたので、あまり興味が無かったのだけど、何より驚いたのは、日本人が山のように来ていたってこと。
気になるお値段は、私たちと同じ値段だったので、別にふっかけられてなかったところが、ちょっと安心。

一通り、お決まりの布団とカバーの説明を聞いた後、店の中を見たら、なんと、杭州産のシルクのパジャマが580元で売っていた。
確か杭州では、950元と言われて、ディスカウントもしてくれなかった代物。
シルクのベッドカバーも、日本円で10万円くらいするセットがあったのだけど、舞い上がって買っちゃったら絶対に後悔するよね。
だってさ、日本往復できちゃうもんね。
ただ、確かに良いものだし、シルクの布団は、500年持つと言われているし、埃がでないからアレルギーに良いのだけど、やっぱり、今の私には贅沢すぎるのでありました。

結局、娘が欲しいと言ったので、お昼寝布団が折り畳まれているクッションと、パジャマと、マフラーをゲット。
パジャマとマフラーは、おばあちゃんに買ってもらってました。

さてさて、物語は、実はこれでは終わらない。
昨日、下痢を漏らしてしまったおじいちゃんが、また、漏らしてしまいました。
その上、前のツアーで風邪のウィルスをもらってしまった私と娘が、みんなに移しまくっていたみたいで、咳と発熱患者が多発。
おじいちゃんは、天津で新しいズボンを買ってもらって着替えて終了。
風邪ひきさんたちは、ディナーのお店の隣にあった薬局へ駆け込んで、漢方の薬を買い込んでました。
もちろん、ガイドのクリスティーンが助けてくれたのだけど、私は読めるので適当にお店の人と話をしながら、漢方の金柑飴と咳止めを買って娘と飲む事にしました。

とにかく公害はひどいし、ほこりもひどい、黄砂って言うんですか?
本場の黄砂ですよ。
咳が止まらず、器官の炎症を起こしてしまう。
その上、どこでもタバコの煙でもくもくだし、驚き千万の中国ですが、やっぱり、北と南は違うなぁ。。。と、今日も感じましたです。

とても汚かったし、臭かったけど、最低限、南の方は、トイレにドアと鍵がありましたから。。。

北の方は、臭くないんですよ。
なぜなら、みんな公務員みたいなもので、掃除のおばちゃんが、ちゃっちゃっと掃除しちゃうから。
でも、ドアが無かったり、鍵が無かったりするのが普通でした。

明日は、万里の長城なんですけど、どうも渋滞があるらしい。
それで、地下のお墓も見るらしい。
2時間かかる渋滞のところを、時間をずらして40分で移動するのだそうな。

やっぱりと言いましょうか、下痢をしちゃっているおじいちゃんは、お留守番ってことになりました。
トイレに自由に行けない環境は、彼にとってもきついよねぇ。

万里の長城 明朝の皇帝のお墓

2012-04-22 16:17:05 | 日記
万里の長城 明朝の皇帝のお墓



北京三日目の最初のイベントは、翡翠のお買い物からスタート。
北京は、上海界隈と違って、結構、値切れるのが有名で、ユニクロとかヨーロッパブランドなどのお店でなければ、デパートでも7割引まで持って行けるそうな。

ここの翡翠のお店は、とても良心的な値段設定で、これ以上、安くしろと言うのが申し訳ないくらい、安いお店だった。
ま、それでも、日本の卸売り業者と、値段がさほど変わりないから、安いと言っても上海と比べたら。。。ってことで、北京では高い方なんだろうと思う。

国営のお店なので、売っている翡翠はすべて本物の翡翠。
翡翠の腕輪とかは、日本円で7万円くらいから。
ちょっと色が良くて、固い翡翠はそれくらい。
色が良くて安くても良いなって言うのなら、日本円で2万円くらいからあった。

あまりバングルには興味ないので却下。

天然石があるはずなんだけど。。。と思って探していたら、あった。
水晶が入っていて、奇麗な石が良いな。。。と探していたら、娘が「ママ、これ、奇麗ね」とローズクォーツのバングルを持ってきた。
透明度が高く、ピンクがかわいく、カットも奇麗な石だった。
これは、どうしたものか。。。と思っていたら「2本買ったら1本無料です」と言うじゃない。
一瞬で3割引。
元値も良心的だったので、3本買い。

横を見たら、翡翠のチャームが売っていたので、それも3本買い。
お店のおねーさんが選んでくれた、奇麗な色の石をゲット。

しかし、この国の若い子は素直でよく働く。
さすが国営のお店だけあって、英語を話せる子がたくさん居た。

お次ぎは、万里の長城。
みなさん、万里の長城がどうして有名になったかご存知でしたか?
あの有名な、アポロ13号の乗組員だった、アームストロングさんが、宇宙から見えた唯一の地球上の建造物は、万里の長城だったと言ったからです。

し、し、知らなかった@@!

写真は優雅ですよねぇ。
あたしはね、登るまでは、岩国の錦帯橋をイメージしていたんですよ。
あんな風に、上がったり下がったり、でんどこでんどこ移動できるのかな?って思ってたんですよ。
ところが、北京側からの登り口は、山から山への谷間が登り口だから、右に行っても左に行っても、鬼のような階段が待っているわけです。
この谷間には、兵隊の詰め所や学校なんかもあって、ちょっとした基地として機能していた場所だそうな。

せっかく来たんですからね、登ろうと!と、駐車場から娘と仁王立ちになって、気合いを入れて見上げていた。
ま、その前に、トイレに~ と、駐車場のトイレに入ってみたら。。。あった。
ドアなしトイレがあった。
こんなところで見つけてしまった。
そこで子供が用を足していた。

私が何を考えたのか、わかるだろうか。

しかし、そのトイレは、なんと、トイレの建物の入り口から入って真正面にあって、そこで用をたしている様子は、なんと、通りを歩いている人にも丸見えという、超S級の難易度だった。

うーん、どうしようかと悩みながら、娘が座椅子のついたところじゃないと入れないので、横目でちらちらと見ながら、座椅子がついたトイレを探し、アルコール消毒のウェットティッシュを渡し、入ったのを確認してから、ふと、横を見たら、さっきの子供のお母さんがパンツを脱いでいた。。。



わかるだろうか。

この敗北感。

久々に大負けした気分を味わった。

あたしは、一生、あのお母さんには勝てない。

あの、心のフリーダムが欲しいなぁ。



ま、無事にトイレは終了して、さ、いざ、万里の長城に登りますよってことになり、いえい!と階段を上ったけど、30段くらい登ったところの櫓で、すでにギブアップのわたし。
こう配がきつくて、登るのが本当に大変。

一休みした後、えっちらおっちらと坂を登り、階段を上って第一展望台へ。
階段の段差がまちまちで、一つの段差なんて、50cmくらいもあって、えいやっ!て登るのがとても大変。
さらに階段は続き、第三展望台をめざした私たち母娘。
そこで、4番目に行こうかどうか娘に聞いたら、ちらりと下を見た娘。
あまりの高さに驚き「もう、いい。高くて怖い」と言い出した。

これは、天の声だったのだろうか。
神様ありがとう。

おかげさまで、すごすごと戻ってくる事ができましたとさ。

下界で、アイスクリームを食べて、幸せいっぱいな私たちでしたわ。




万里の長城の次は、神宗顕皇帝のお墓へ。
その界隈は、明朝時代の御陵が多く残されているところで、当然、墓荒らしも来ていたのだけど、さすがに大理石のいすは重くて持ち出せなかったみたいで、ちゃんと3人分残されていた。
お墓は、地下27mで、ドーム型の天井は高く、皇帝と二人のお妃様が一緒に葬られていた。
本当は、二人目のお妃様は、お妾としての扱いだったのだけど、一人目のお妃様に子供ができなかったので、二人目のお妃様の子供が皇帝になり、その皇帝の子供が皇帝になった時、自分の祖母である二人目のお妃様を、お妃様として一緒に葬ったのだそうな。

27メートル地下への階段を下りて行く。
入り口には、火気厳禁なので、はさみ、ナイフ、火のつくものを持っている人は、行く途中の木の根元に置いて行ってくれとガイドさんに言われた。
中は、普通に地下の石室だったのだけど、棺を置くところに「金井」と書かれている穴があって、その穴めがけてお金を落として行く人が多く、「お墓のお金を持って行くとのろわれるよ」という迷信がはびこっていたためか、誰も、盗もうとする人が居なかった。

池やこういう「金井」にお金を投げ込む人がかなりいるらしく、お札がピラミッドのように積まれていた。
高さにして、1m近くあったんじゃないだろうか。

お墓は地下27mだけど、その入り口は山の中腹にあり、展望台からは万里の長城や、他の皇帝のお墓が見える。
とても環境の良いところだった。

北京オリンピックパーク

2012-04-22 15:53:43 | 日記
北京オリンピックパーク


今日は、お買い物の日ってことで、肉体的に楽な日だったけど、ホテルで休みたいねぇ~ と、娘とずっと言っていた日でもあった。
まず、足がぱんぱんに腫れて、痒くなってきたってのは良い兆候じゃない。
次に、熱は無いけど咳があるし、咳をすると疲れるし、そもそも、北京は空気が悪くて好きじゃない。
都会は、好きじゃない。
緑が無いし、人の心もカサカサしているから、上海よりも、人が機械的。

前にどこかで書いたかな?
重複していたらごめんなさい。

北京では、連れて行かれるお店は、大抵、国営。
なぜなら、民間では品質管理ができていないから、まがい物を売ったり、変な薬物が混入していたり、信用できないところが多いからだという。

多い。。。というのは、数が多いという意味で、人口の比率からすると妥当じゃないか?と、私は思う。

ま、そういう理由で、翡翠のお店も、お茶のお店も、あちこちのお店も、連れて行かれたところは国営なんだそうな。つまり、働いていている人たちは公務員。
歩合で給料が上がることもあるだろうけど、所詮サラリーマン。
歩合をたくさんもらえる人と違って押しが強くないんだけど、売る気が無くおしゃべりをしている売り子も多い。
彼らは、与えられた仕事はするけど、それ以上はしようとしない。
むしろ、与えられた仕事さえしようとしない。

トイレには必ず掃除のおばちゃんが一人居た。
チップとか渡さなくても良いのだけど、ちゃっちゃっと掃除をする姿は気持ちいい。
和式トイレだから、飛び散ったあれこれを素早く片付けて、異臭が出ないように管理している。

私が「北京の人はロボットみたいだ」と言ったのは、このおばちゃんが良い例だ。
掃除はちゃっちゃっとするけど、そこでトイレを待っている人は見ていない。
ぶんぶんぶつかってくるし、掃除の邪魔を!と言わんばかりに、イラッとしてる人も居る。

町づくりもそうだ。
上海では、バイクと自転車専用道路が、車の通りの横にあった。
ところが北京ではそれがない。
びっくりする事に、自転車も車と一緒に右折している。
3車線のすごい通りを、見事に車と一緒になって走っている。
この街では、上海よりも自転車人口が多い。
きっと、給料は上海よりも安いんじゃないかな。
いや、物価が高いのかな。

上海の人は、北京の人を「ストレスでいっぱい」と言って好まない。
まるで、東京と大阪、シドニーとメルボルン、北京と上海。
大きく違うところは、日本とオーストラリアは、後者の方が歴史的建造物が多いが、中国は前者の方が多い。
北京界隈は、政府の意向が浸透していて、本当に、ここには、日本人がよく知っている中国がある。
でも、それをすべてと思っちゃいけない。
多分、1億人くらいしか、統制できてないんじゃないだろうか。
基本は、おおらかで、本当に愉快な人種なのだ、中国人。

ってことで、朝からオリンピックスタジアムへ行ってきた。
オープニングが行われたバードネストは、なんと、意味があった。
紫禁城から1本通る大通りは、オリンピックの前は畑だった。
それをつぶしてオリンピック公園までのばした道は「ドラゴンロード」と呼ばれ、龍を表すという。
そこにバードネストと呼ばれる「鳥の巣」がある。
これは、フェニックスの巣らしく、龍とフェニックスがくっついて繁栄をもたらすという意味らしい。
横に、7スターホテルが建っていた。
これは、よく見たら、昔の中国のドラゴンボートに形が似ている。
ビルのてっぺんが、ちょっと、うねっとしていて、面白い形なのだけど、それはドラゴンの頭だからだそうな。
トイレは5スター。
座るトイレもいっぱいあるし、ここはおすすめ。

お次ぎは、漢方のお店。
ここは国営の漢方のお店で、漢方医がやってきて、その場で脈を測り、舌を見て、目をチェックして、処方してくれる。
娘は免疫力が弱く、肺が弱いと。
私は、消化器官が弱く、それに伴って水の流れが悪いと。
ちゃんとしたお医者さんが無料で診療してくれるだけでも、ありがたいので、3パック購入。
本当は、半年分買えと言われたのだけど、いや、買いたいのはやまやまなんだけど、なんたって、一つ一ヶ月分だからって1万円程度もするわけです。
いやぁ~ 払えないよね。

とりあえず、試してみて、良かったら、Eメールで申し込めるので、そうしようと思って、お試し3パックをゲット。
これで、娘のちびちび出ていた不快な症状が良くなると良いな。
実は、今回のツアーで一番楽しみにしていたのは、ここのお店だったのだ。
高いのは知っていたけど、しかし、健康を買えるのなら買いたいって感じかな。

お昼ご飯を食べた後は、紫禁城の裏の公園にあるお山を登って、そこから紫禁城を撮影しましょうって事だったので、私と娘はリタイヤ。
45分間だったし、バスで休む事に。
そしたら、登らない人が意外と多い。
元旦那の妹の旦那のお母さん(長いなぁ)が、足がむくんで痛いって言うので、せかせかとマッサージしてあげた。
あたしも人ごとじゃないから、痛いのが解るしねぇ。
少し良くなれば良いんだけど、ちょっとやそっとじゃ良くならんだろうってくらいのむくみだった。

その後は、北京のお店でお買い物。
2時間自由時間をもらったところは、なんと、偽物ばっかり売ってるビルだった。
絶対に日本人は入れないよねってくらい、偽物だらけ。
こんなところで、ビトンの財布1000円だったわぁ~ なんて、嬉しげに買っちゃったら、成田空港で捕まります。
成田の税関は中国から帰ってきた人には厳しいですからご注意を。

確かに、コピーだから、デザインも色も良い。
だけど、そんなところで値切って何を買っても、家のにーさんが嫌がるだろうな。。。と思って、娘の靴だけ買ってみた。

そこは値切らなくちゃいけない。
洋服は、最低でも30%くらいまで落とせる。
根性入れて喧嘩する気があれば、10%までいける。
もちろん、どれだけ買ったかだから、100元の物を10元にはできない。
たくさん買ったら、たくさん値切れるけど、服1枚、靴一足じゃ、がんばって30%じゃないかなぁ。

私は、400元の靴を、200元まで、電卓たたきながら、おじさんとぎゃあぎゃあ笑いながら、値切っていた。
おじさんは英語が話せないし、私は中国語がわからないから、鶏とガチョウ。
世界共通言語、ボディーランゲージで楽しく値段交渉。

私たちの場合は、着地点が最初から見えていたので、あとは、いかにそこへ持って行くかだけだったのだけど、おじさんも、楽しそうに値切られていた。
最後に、笑って握手して「再会!」って言われた。
みんなけんか腰だから、おじさんも楽しかったみたい。
ホント、あのやり取りは楽しかった。
また、遊びに行こう。

値切って安くしてもらうのも良いんだけど、こういうやり取りが楽しいよね。
それを狙って行ったんだけど、いい人にあたってよかった。

そう言えば、靴と鞄は、地下なんだけど、うろうろと歩いていたら、男の人が、お店の女の人に鞄をつかまれてぎゃあぎゃあ怒鳴られていた。
女の人の反対側の手には靴が握られていた。
男の人は、困惑した顔をして、小声で何か言っていた。
よく聞いてみると。

「なに」

え?耳を疑った。

「はなして」

え?さらに耳を疑った。

もう一人男の人が来て、その日本人はどこかへ連れ去られて行った。

アホな日本人が、何も知らないから、何でもやっても許されると思ってたんだろうな。
「知らなかった仕方無い」が通るのは日本だけだ。
ここは不思議の国の中国、払えないなら体で払えと、腎臓取られるんだから。

そこのビルは、値切れるけど、値切ったら買わなくちゃいけない。
そのかわり、相手が何を言っても、絶対に着地点を譲ってはいけない。
そういうお店なんだから、買う気が無ければ触ってもいけない。
見てるだけでもお店の人は、わらわらとうるさく寄ってくるんだから。

「あーあ、捕まっちゃったね」と娘が言って、通りの角を曲がったら、その人は靴屋の前に居た。
相変わらず鞄をつかまれて、何か言われていたけど、聞こえてきた言葉は「はなして」。
相手の事を理解しようともしないで、自分を被害者だと身体で訴えてる。
誰も助けてくれないんだよ。海外はそういう所なのだ。がんばれ!

お店の人が不条理な事を言っているのなら助けてやろうかと思ったけど、その若者は英語も解らない。
お店の人が英語と中国語で説明しても「はなして」「なに」しか言わない。
何かやらかしたんだろうな。
「angry」と、お店の人が言ったので、明らかに何かやらかしたんだ。

男なんだから、潔く、逝って来い!!

そのまま見捨てた。

その後、娘と日本語で話しながら歩いていたら、かわいいピンクのバッグがあった。
あれ?これは、確か日本のサイトで、2900円で売ってたやつだなぁ。。。と思ってみていたら、お店の人が出てきて、白いバッグを出してきた。
「パイ! ノー!」
と、言って通り過ぎようとしたら、ピンクもあるよ!ぎゃあぎゃあと言ってついてきたから「I don't understand what you are talking about anyway」と言ったら、「She said 100 yuen!」と、横の人が言うじゃないの!!
ってことは、この時点で、すでに$16くらいっすな。
これを50元までに落とせたら、良い買い物じゃないですかね。
と、ふらっと心が動いたけど、持たない物を買っても仕方ないし、無視して通り過ぎ~~

ここは、やたら安いけど、やたら外国人が多いから、英語を話せる人が多いのだ。
英語で値引き交渉ができないのなら、入るだけ無駄なところだろうと思う。

そう言えば、おじさんと笑い合って値段交渉してから、ふと後ろを見たら、あの被害者君が居た。
なんだか、ちらちらこちらの様子を伺いながら、話をしたい波動を飛ばしてくるじゃないか。
なんで助けてくれなかったのかと、文句を言いにきたんだろうか。
自分は悪くないと言い訳をしにきたんだろうか。

なんて思っているうちに、さっきの「パイ」事件があったんだった。

一人で寂しく逝け。




お店を出てから、隣のビルディングコンプレックスにスタバがあったので行ってみた。
ユニクロも自社ビルを持っていて大きかった。
ふと見たらナイキブティックが!!!
娘の靴は、ナイキブランドだった。。。ごめんよ。すごい値段で買っちゃったよ。

スタバで運良く席を見つけて、娘と1時間くらい時間をつぶして集合場所へ。
スタバのコーヒーは美味しいんだろうけど、豆乳がまづいのかなぁ。
日本やオーストラリアのソイラテとは味が違った。

集合時間に戻ったら、みんな買い物袋を持って色めき立っていた。
あたしは、靴の時でエネルギーを使い果たし、それ以上、値段交渉する力が無いから、終了。
あそこは、ある意味、アミューズメントパークだ。

早い晩ご飯を食べて、珍しく19時にホテルへ到着。
翌朝は、5時15分モーニングコール。
6時30分出発。
まいった。

皇帝の猟場 承徳

2012-04-22 15:46:05 | 日記
皇帝の猟場 承徳



承徳は良かった。
皇帝はモンゴルの血が入っていたらしく、狩猟がお好みで、夏の狩り場として滞在したのが承徳。
ところが、戦争中にイギリス、フランス、ロシア、日本軍が攻め込んだときに、皇帝の残していた服とか建物とか、全部燃やしてしまったそうな。
戦争はいかんです。

北京から承徳まで、バスで2時間半。250kmと聞かされていたのだけど、2時間で到着したのはなぜ?
誰もそれを疑問に思ってなかったのも、なぜ?
あらゆる事が当然になりつつある中国旅行だった。

朝の6時30分出発で、車窓から外を見ていたら、山から山へと万里の長城が続く。
中国の土地は古いから、山が岩になっていて、ゴツゴツとこう配がきついところに、長城は作られている。
昔の兵隊さんは、ヤグラに立って敵襲を見張っていたんだろうけど、ヤグラからヤグラへ移動するのも大変なのに、武装して荷物持って、あの階段を上り下りしたのかと思ったら、とんでもない事を考える皇帝も居たもんだと、驚きを隠せない。

さらに走ってサービスエリアへ。
なんと、ここのトイレは意外にも5スター!
トイレはきれいだし、座るトイレもあったし、ドアに鍵もあった!
絶対におすすめ。

どんどこ走って、承徳へ。
承徳は、人口が20万人くらいの小さい街なのだけど、それは山だし、平らな土地が無いしって理由だったらしい。
それでも、昨今の不動産デベロッパーは、この土地の歴史と環境を見逃さなかったらしく、新しいビルが建設されていて、看板を良く見たら、イタリアやヨーロッパの有名ブランドの名前がてんこ盛りだった。
どうやら、ここを、金持ちの避暑地にするらしい。

中国の建物の建て方は、どうしても、円楼のテイストから抜け出ないようで、四角い建物の中心は広く天井まで吹き抜けになっていて、途中、あちこちに廊下を渡して移動しやすいようにするらしい。
空気は奇麗だし、北京から車で2時間半だし、ホリデーハウスにはちょうど良いんじゃないかなぁ。

皇帝の保養地に到着して、ゲートをくぐったらカートがあった。
どうやら、これに乗り込み目的地へ向かうらしい。
右手に見えた広い池には、なんと、氷が張っていた。
氷の上を走ってやってくる風は、とても冷たく気持ちよかった。
ここには公害も、騒音も、北京よりもぜんぜん少ない。

皇帝の部屋は、椅子が黄色いシルクカバーの、いくつかのクッションで作られ、よく見る中国映画のような内装。
ベッドにたくさん布団が積まれている他は、あまり皇帝の寝所とは思えないくらい、質素。
昔はもっときらびやかだったのだろうか。

建造物は、400年前とか、500年前とか、申し訳ないけど、木造建造物にしては、あまり古くない。
保存状態が良くないのか、あちこちかなり古くなっていた。
日本の神社仏閣の方が、さらに古く、そして、さらに美しいと思った。
京都や奈良の古い寺院は、木に年期が入っていて、黒光りしている。
国民性の違いなのだろうか。

お昼にモンゴル料理を食べた後は、一路、北京へ。
再び、翡翠のお店に行ってから、北中国の水餃子アラカルトを食べてきた。
北中国の料理は、モンゴルとか韓国とかの味が混じっていておいしい。
出てきた、唐辛子のソースも、お味噌になっていて、コチュジャンみたいだった。

同じテーブルについた人が翡翠のペンダントとバングルを買ったという。
二つセットで、$2000US 払ったと。
まぁ、高い。

お義母さんに見立ててもらったら、そんな価値はないと。
バングルの音も低く、かなりぼられたらしい。
そのお店のオーナーのお嬢さんって人が来てから、なんだか目を付けられてるような気がしたんだけど、やっぱり、説明が終わったらお店に連れて行かれ、従業員に囲まれ、あれこれ言われて売りつけられたそうな。
21000元で安かったと自慢していたペンダントは、お義母さんに言わせたら、150元だとな。
もう、みんなで大笑いしていた。

明日は、皇帝の夏の宮殿へ行って、シルクファクトリーへ行って、ショーを見てくるそうな。