中国へ行って来ました

3月26日から4月7日までの中国旅行記です

いざ出発!

2012-04-22 22:00:22 | 日記
いざ出発!



3月26日(月)

朝の8時に、お義母さんの家に大集合。
総勢10人の朝だった。
タクシーに荷物を詰め込んだけど、行きで、すでにいっぱいいっぱい。
一体、帰りはどうなるんだろう。。。

空港に到着して、お決まりのあれこれを済ませ、飛行機に乗り込んだ。
きれいな中国人のスチュワーデスさんが、お出迎えしてくれたのだけど、私たちのシートにはすでに誰かが座っていて、よけようとしない。
10人中、私たちが一番最初に乗り込んだので、後からぞろぞろ家族が大集合して、結局、シートを明け渡さなくちゃいけなくなったのだけど、しかし、ずうずうしいと言おうか、なんと言おうか、あの圧顔は圧巻だった。

私は、いつもキャスターを機内にもちこんで、首枕とか遊ぶ物とか10時間を過ごすための小道具を持っていくのだけど、キャスターは足下に置いておくと、ちょうどいい高さの足置きになって、長時間のフライトが楽になる。
でも、スチュワーデスさんは、足下に何もない方が広くて楽だろうと思っているので、キャリッジを頭上の棚に入れてあげるよっ!と訴えてくる。

いやいや、いいんですよ。足下でいいんですよ。足下がいいんですよ。

いやいや、乗せてあげるから、上がいいから、上だよっっっ

みたいなやり取りを何度かした後、信じられないことに、あの美しい顔のお上品で選ばれたであろうスチュワーデスさんが「ちっ」と舌打ちした!!!

ちっ? ちって言ったよね? ちっ だったよね?@@!

やられた。

メルボルンに居ながら、もう、すでに、中国の洗礼を浴びてしまった。




10時間のフライトは、そんなに珍しいことではなく、いつもと同じ。
違うことと言えば、機内食が中華だったってことくらい。
それと、なぜか、食事の後に暖かいパンが配られること。
非常に謎だった。

上海到着。

メルボルンよりも3時間遅れているので、ちょっとジェットラグ。
ホテルに行くときも、一つのバスで、2カ所のホテルに行ったので、思ったよりも時間がかかってしまった。
パスポートを持ってチェックインしたら、なんだか、ナンバーをつけられてしまった。
私が54番だから、総勢54人以上居るってことか?
そんなに乗れるバスなんだ?
でかいバスなんだろうなぁ。。。と漠然と思った。

部屋に入って驚いた。
なんと、ベッドルームの窓際に、バスタブがあった!!!
ジャグジーのバスタブ。
その上、トイレはガラス張り。
なぜ、トイレの中が見えなくちゃいけないのか、なぜ、シャワーの中が見えなくちゃいけないのか、なぜ、ベッドの横に風呂があるのか、非常に謎多き部屋だった。
これが中国か?
フリーダムすぎないか?
それとも、ここは、新婚さん専用ルームなのか?
それにしても、ジャグジーの風呂桶の横で寝たいとは思わないけど、寝たい人が居るのか?

娘と2人で、ぎゃあぎゃあ騒いでいたところに、元旦那登場。
香港から出張で上海に来ていて、同じホテルに泊まっていたのは知っていたけど、夜も遅かったから呼び出さなかったのに、どうやら、お義母さんが叩き起こしたらしい。

息子に渡してくれと、MacBookAirを持って来た。

香港生活も長いし、上海も仕事でよく来るから、一体この部屋はなんなのか聞いてみたら、多分、アロマセラピーとかそういう部屋だったんじゃないか?と。。。
だったら、トイレがガラスってのがさらに理解できないんですけど。。。
ラブホテルじゃないのか? と、聞いてみたら、ぜんぜんロマンチックじゃないと。

そうか、それなら、何か違うんだろうな、この部屋は。

1年ちょっとぶりに会った彼は、でぶってた。
「そのお腹、どーしたのー?」と聞いたら「どらえもーん でしょ?でしょ?」と日本語で言って来た。
どらえもん覚えてたらしい(笑)

まだまだ働いて稼いでくれないと、家賃払ってもらえないし、路頭に迷うし困るんですけど。
死ぬ前に、子供名義で家を買いなさいって話しですよね。
MacBookAirは、大学の入学祝いだったんだけど、大学院出たら家を買えー! と、しっかりと騒いでおきました。

翌朝、レストランで家族の間をひらひらと歩きながら、楽しく会話していた元旦那。
いざ行くわね!と声をかけたら、なんだか、ついて来た。
「なに?なに?小遣いくれるの?」と言ったら「もう、十分、お金あるだろう!」と。
「お金は多いに越した事ないじゃん」って言ったら「そりゃそうだ。。。あ、財布無い」と。

なんだか、息子が1人増えたみたいな。。。そんな感じがした(笑)

1日目上海

2012-04-22 21:25:13 | 日記
1日目上海



この日は8時に出発だった。

7時からご飯。はやいっ!

そもそも、朝ご飯なんて要らないわたしだけど、娘が居たらそうはいかないし。
5スターホテルの朝食をちょっと堪能してバスに乗り込んだ。

その日は、蘇州へ行く予定だったのだけど、ホテルがいっぱいだったので予定変更で、朝に上海の古い町並みを再現した公園を散策した後、杭州へ向かった。
上海の古い町並みは、千と千尋の神隠しに出てくる建物そのもので、とてもかっちょよかった。
あちこちで、小籠包やいろんな上海の蒸し餃子や揚げ餃子が売っていて、パオ(包)が好きな人にはたまらないところ。
サルモネラ菌の「タイフォイ」という予防接種を受けていたから、でかい顔をしてバクバク食べてた。

一通り楽しんだ後は、ミーティングポイントへ。
バスを待っていた間、まがい物のローレックスやおもちゃを売りにきてる人が居たのだけど、なんと、そこには、乞食さんも来ていた。
心優しき、元旦那の妹の旦那は、娘に10元を持たせて、おばあちゃん乞食にあげろと言う。
止めなさい。。。と思ったけど、こういう人は、自分の最愛の娘が苦しむ姿を見ないと学ばない。
案の定、わらわらと乞食が湧いてきて、娘を直撃してきた。
(その後、乞食を見ても恵む事をしなくなった)

悲しいことに、一人にあげると、いっぱい寄ってくるから、下手な親切心は仇になる。
その上、あの人たちは良いビジネスをしていた。
プラスチックのカップにコインを3、4個入れて、ちゃりんちゃりんと音を出して、恵んでくれと観光客に来るけど、紙のお金が入ると、素早くポケットに入れる。
まるで自分はぜんぜん恵んでもらえない、かわいそうな老婆ですと言わんばかりに、次の獲物へ近寄っていく。

4歳くらいの男の子が、おばあちゃんと一緒にやってきて、カップをちゃりんちゃりんとしていたけど、私は、その子のポケットに、ぱんぱんに入っていた紙幣の束をしっかりと見てしまった。
なんとも逞しい生き方をしてるもんだ。

20年くらい前にインドネシアに行った時に、お義母さんからきつく言われていたのが「コジキに恵むな」だった。
下手に恵むと、わらわらとあちこちからやってきて、下手したら殴り掛かって来たり、鞄を奪おうとしたりする人も居るらしい。
世界は広い...知らない事がいっぱあるんだと、驚いていたいたいけな私だった(笑)

上海を後にして、西湖がある杭州へ向かった。

私たちはAグループだったけど、それぞれ微妙にコースが違って、Dコースまであった。
ガイドは中国標準語。
歴史とかいろいろ説明してくれているんだけど、まったくわからない(笑)
私たちの家族総勢14人の中で、唯一解るのは、お義父さんだけ。
でも、何かを売るときとか、お金が欲しいときは、英語で説明してくれる。
なかなか、抜け目ないのだ。

そもそも、このツアーは、上海を起点に6泊7日で、二人で2万円程度。
朝、昼、晩と食事付き。
オプションは、3ヶ所、自由参加。
格安なんてもんじゃない。
カナダ、アメリカ、マレーシア、台湾、オーストラリア、シンガポールの人達が同じバスに居た。

中国の政府が観光業界を活性化させたいので、そこで資金を少し出し、後はあちこちのお店屋さんが、お客さんを連れて行くことを条件に、資金提供をしているためにツアー自体は格安となっている。
中国の国籍を持っていない中国人とその家族が参加できるらしい。

ホテルは、すべて5スター。
悪くても4スター。
朝食バイキングは、どこも中華と洋風だった。

これだけ安かったら、もう、文句言えない(言ってたけど(笑))。
バスは最新型の快適なバスで、振動も少なく酔う人は一人も居なかった。
ただ、朝早く、夜も20時過ぎの到着が普通で、お年寄りには厳しいと思う。




西湖は、杭州のメインイベントで、でかいでかい湖のほとりを散策したり、遊覧船に乗ったりして、自由気ままにすごせる自然がいっぱいのところ。
紡績と服飾が有名な町で、シルクペイントやデザインなんかは「杭州」!と言われているくらい、とても有名。
ユニクロも無印良品もある、中国の大都会の一つだった。

公園を中国人ガイドの案内で散策した後、真っ黒のトウモロコシを食べたり、鯉を見たりして遊覧船へ。
大きい湖で、そこを船に乗りながら回りの建物や景色を楽しんでいたら、遠くで噴水のショーが行われていた。
びゅんびゅん水が飛び散りまくり、どこからでもよく見えるくらい、大きい噴水のショーだった。
あれは、すごかった。なんでもでかい中国(笑)

船を降りたあとは、そこで、しばしフリータイム。
写真を撮ったり、アイスクリームを食べたりして、憩いのときを過ごしてから、オプションの中国のオペラへ。
でも、私たちファミリーは行かなかった。

「強制です」と言われたけど、中国語がわからないのと、歴史がわからないのとで、行っても楽しめないので、インドネシアからの合流組を合わせて、総勢14人の大グループの私たちは、自由気ままに公園を徘徊して、その時間を過ごしていた。

本当は、もっと大胆に散策していたら良かったのだけど、冒険するほど勇気が無くて、みんながステージを鑑賞している間、私たちは来た道を戻って公園へ行ったんだなぁ。
もし、私にもうちょっと勇気があったら、来た道の反対側を散策してただろうし、ショッピングセンターの場所を聞いて、いっただろうと!!
だって、ホントに近くに、無印良品とユニクロがあったんですよね!!!

臆病は損しますわね。
教訓にしなくちゃ。

杭州と無錫(むしゃく wuxi ウーシー)

2012-04-22 20:12:06 | 日記
杭州と無錫(むしゃく wuxi ウーシー)



翌日は、中国で一番有名なお茶どころを通り、無錫(むしゃく wuxi ウーシー)の寺院へ。
有名なお茶どころは「龍井」と呼ばれ、その製造方法、その栽培方法などから、体の毒を出し健康に良いと言われている、漢方にも匹敵するような効能がある、おいしいお茶だった。

お茶の入れ方とか、いろいろ教えてもらったけど、全部、中国語でなんにもありがた味がわからない。
何がどうしてって物語がわかれば、それだけお金を出しても良いかな?って思うんだけど、何もわからないから、お茶1kgに2万円も出す理由がわからない。
もっと小分けにして安くしてくれたら良いのに、でかいパックを3つ買ったら1個ただ!なんて売り方をするから、価値が全くわからない。

言葉がわからない上に、価値がわからなくなって、まごまごしていたら、なんと、お義母さんたちがせっせと値段交渉して買ってるじゃないの。
ああ、あたしは、ちょっと分けてもらえたらうれしいんだけど。。。

と、思っていたら、翌朝、茶筒一つ分もらっちゃった。ありがとう!!!

窓から、茶畑や農家の人たちの家を眺めながら、龍井の茶畑を後にした。

無錫(むしゃく wuxi ウーシー)の寺院は、世界で一番大きいお釈迦様の像が建っているのだけど、世界で一番というだけあって、遠くからでもよく見えた。
80メートルもあるメタル製の大仏の下には、大寺院と集会場があって、そこの飾りがこれまた圧巻。
しゃべってはいけないと言われつつも、みんな大騒ぎしていて面白かった。
曼荼羅や、絵画、柱の装飾まで、とても凝っていてすばらしかった。

そこでは、去年(2011年)に、世界の仏教大会が行われ、世界中の仏教のお坊さんたちが集まって会議が開かれたそうな。
それくらい、大量の人を収容できる大きな建物だった。

中国の建物は、ホテルでも食堂でも、何百人も一度に収容できる規模のところが多い。
家も、マンション形式が多く、それは、福建円楼の名残なんだろうかと思うくらい、高層マンションに住む人が多い。
一軒家も、3階建て、4階建てが多く、家族が一緒に住んでるんだろうなぁ。。。と、想像させる。

通りに面したところにはお店が並び、ビルとビルの間の小路を入ってから、マンションの入り口へ向かう。
車いすフレンドリーじゃないし、足の悪い人には苦しいだろう階段も多い。
ただ、通りと小路の間には、昔の名残なのかゲートや門が作られていて、ドアを取り付けたら簡単に外敵が入れないような作りになっているのが面白い。

結構、めちゃくちゃな中国だけど、ただ一つ、世界中、どこの国も勝てない強みがここにある。
それは、家族のつながりを大事にすること。
母親を大事にすること。

私たちは14人の3世代大家族ツアーだから、足の悪い年寄りたちは遅いし、若い子供たちは早い。
若者は年寄りたちに合わせる。
もちろん、ほかのバスのメンバーたちは、ちゃっちゃと歩ける各国から集まった中国人だから、私たちがいつも最後。
それでも、私たちは14人一緒に行動するものだから、ガイドのジャック君は辛抱強く待っててくれていたし、空港で、私と娘が引き離されて、娘が一人で後ろに取り残されたときも「娘だから良いでしょ!」と行ったら、軍隊みたいな警備員の人が、特別に一人だけ先に通してくれた。

母娘が離れる、家族が離れる、この国では、それはタブーで、家族を離す人、親を大事にしない人は、人間として格が低いとみなされる。
こういう家族を大事にするという気持ちは、人に忍耐を教え、理解を教え、ありのままのその人を受け入れ愛することを教える、とても大事な学び。

でもね、やっぱり、都会はそうじゃないらしい。
お金に飲まれちゃって、人の心が無いと、上海の友人が言っていました。
どこも同じかなぁ。。。




さて、無錫(むしゃく wuxi ウーシー)の大寺院。
大きな集会場を出てから、シャトルバスに乗って大仏の足下へ。
階段を200ちょっと上って、てっぺんから見下ろす景色は圧巻だったそうな。。。
あたしゃ、上りませんでしたわ。
見ただけで、げろっと来るくらい、こう配がきつい階段でしたのよ。
もちろん、子供たちと娘は、たったかと上っていきましたけどー

その後は、また、シャトルバスに乗って、一路、赤ちゃんのお釈迦様公園へ。
定期的に、時間になったら音楽と噴水のショーが行われ、中心にあるでかい蓮の花から、赤ちゃんのお釈迦様が出てくる仕掛けもの。

しかし、これがでかい。

あまりにもでかかったので、携帯のビデオを撮っていたら、突然、大噴水が起こり、お釈迦様の近くで居て見ていた人が水をかぶったらしく、なぜか私の方へ走ってきた。
私の後ろに居た中国人のおばちゃんのお友達が3人、私に向かって突進してきたのだけど、まるで、そこに私が居ないかのように、一人は私の前、一人は私の左、一人は私の右、一人は私の後ろにそれぞれ立って、大声で騒ぎだした。

状況からして、水が突然出てきて濡れちゃったよ!!!ってノリだったと思うのだけど、こんだけ広い空間があるのに、なぜに、私を囲む?
あっちもこっちも場所はあるだろうに、なぜにビデオを撮っている私を囲んで大笑いする?
私は透明人間だったのか?
いや、透明人間になれたような気がした。。。

中国旅行は、その歴史、景観、工芸品のすばらしさよりも、こういう、現地の人のおおらかさが印象的だったという、なんとも、人が宝の国だった。

蘇州

2012-04-22 20:00:03 | 日記
蘇州



蘇州は、蚕を飼って、絹を作るのが有名なところで、とても古い町。
運河があちこちに張り巡らされていて、貴族の人たちは川遊びを楽しんでいた。
もともと城壁でぐるりと囲まれていた町でところどころ古い見張り櫓が残されている。
蘇州の意味は「魚、米、草(衣服=絹)に恵まれた豊かな町」
だから、昔からいろんな文化が繁栄してきた。
しかし、今は、近代化が進み、投資用の住宅が建ち並び、ゴーストタウンになっていたり、シンガポール資本のIT関係の工場がどかん!とあるので、半導体とか作っている町になっているそうな。

そう言えば、上海から杭州あたりまでは、洗濯の物干竿が、マンションの壁から突き出るように、垂直に通りに突き出ていたのだけど、無錫(むしゃく wuxi ウーシー)から南京あたりは、日本と同じように、壁に平行して出ている。
上海と南京は500kmくらいしか離れてないのだけど、文化の違いが見えて面白かった。

また、上海では、洗濯物が道路沿いの電信柱から電信柱の間にひもを渡して干してあった。
パンツからブラジャーまで、なんでも干されていて、びっくりした。
車やバイクが多く、空気も悪いし、歩きタバコが多い。
人口の40%が喫煙者だと言われている中国は、どこへ行っても喫煙者にあたる。
そんな通り沿いに洗濯物を干す人の気持ちがわからなかったけど、無錫(むしゃく wuxi ウーシー)あたりから南京にかけては、室内に洗濯物を干してる家もあったりして、ちょっとほっとした。

日本人の大半は、蘇州人が祖先だと聞いたことがあるけど、大半というよりは関西人かな?と思った。
なぜなら、信号機に待ち時間のカウントダウンがあったから。
それは上海では見られなかった。

蘇州では、淡水パールのお店に行った。
淡水パールってのは、一つの貝で20個からの真珠がとれるので、非常に安いはずなのに、定価を見たらミキモト真珠並みの値段でびっくりした。

色が奇麗だの、大きさがどうだの言っていたけど、いやいや、ミキモトや天草の丸さに比べたら、これは、ゴミにしか見えませんから。
ピンクも光が当たったらピンクみたいな、上品な色合いじゃないし、これは、いかんだろう~!と思っていたら、ジェニファーがやってきて「今ね、そこでお店の人に呼び止められたらね、22000元のネックレスを、何も言ってないのに、いきなり1600元まで落としてきたよ!!!」

だろうなぁ~~ 1600元は、オーストラリアドルで170ドルくらい。
日本円だったら、13000円くらいかな。
大きさや形を見たら、妥当だと思った。
買わなかったけど。

もう一つ、蘇州では古い庭が有名。
そこは、昔、金持ちの人の個人の邸宅だったそうな。
奥様が8人だったか、9人だったか居て、みんな同じ敷地内に住んでいたそうな。
子供は30人をこえていたと。
その大家族を養えるだけの財力と敷地面積があり、主の偉大さが垣間見える。
そんなお庭に、なぜか、超デカの盆栽が!!!

なんとも、不思議なお家だった。

南京

2012-04-22 19:25:37 | 日記
南京



蘇州を出発した私たちは、一路、南京へ。
南京は、昔々、日本人が5千万人殺したと言われてる土地で「日本語しゃべっちゃだめだよ」と、あちこちから釘を刺されていたところ。
さすがに、ほかの土地のように、あからさまに東芝やトヨタの看板は無かったし、日本企業だって解る看板も見えなかった。
人々の暮らしは、上海から離れるに従って、徐々に貧しいものになり、その地域では一番大きい町だと言われている南京でさえ、ほかの土地と比べるとかなり貧しい環境だった。

ここでのメインイベントは、中国を共産党にした孫先生のお墓参り。
彼が、最後の王朝を終わらせて、中国を人民の国にしてくれた偉大な先生。
北京で仕事をしていたのだけど、南京が故郷なのでお墓はこちらに作ったそうな。
階段が、これまた長く、の仏像の階段よりも緩やかだって言うので、せっせと上ってみた。

それもこれも、娘の半分の血は中国人だから、自分の半分をちゃんと見なさい!ってノリなんですが、しかし、きつかった。
幸い、帰りは、待ち合わせ場所からバスまでシャトルバスで送ってもらえたので助かった。
あれ以上は歩けない。。。

南京のもう一つのイベントは、毛沢東の像がある、南京長江大橋。
ここは、道路と線路がダブルデッカーになっている橋で、その橋の麓に完成記念やってきた毛沢東の像を置いて観光地にしている。
もちろん、お土産やさんつき。
買う気が無いから、結構、疲れる。

南京の古い繁華街を自由に散策しながら、ディナータイムを待っていた。
通りには運河があって、川の上にボートを浮かべて、中国のダンスをしていた。
さすがにユニクロは無かったけど、中国のブランドがいっぱいあって、その地域で一番の大都市だと言われるだけあるなぁ。。。と思った。

バスの窓から外を眺めて気づいたのは、軍隊が多いということ。
軍隊専用のガソリンスタンドや、軍事施設など、結構、多かった。
私は、今でも南京大虐殺の意味が分からない。
こんな内陸の田舎町を、日本軍が欲しがるとは思えない。
四方から囲まれたら、あっという間に壊滅させられるような地形を欲しがるとは思えない。
実際に南京に来てみて、本当にそう思った。

ここの人たちは、のんびりとした大陸系の人たちで、おおらかで自由人。
道沿いにいすに座っている女性が居たので、ガイドさんに何をしているのか聞いてみたら、ただ、車を見ているのだという。
なんとフリーダムな。
あらゆることが許されるということは、それだけ多様化した街になっているわけで、乞食からベンツまで同居してるのが中国だけど、南京は平均して貧しく、おおらかで豊かな人たちだった。
もし、この人たちを殺さなくちゃいけない理由があったとしたら、彼らが戦争を反対して軍にたてついたからじゃないか?と思ってしまう。
それくらい、この界隈は、人民解放軍が多かった。




南京最後のイベントは、翡翠のお店に立ち寄ること。
ここで、かなり時間を費やし、早いお昼ご飯を食べたあと、一路、上海へ向かった。
上海に到着したら、また、翡翠のお店。
私たちは英語を話すので、英語のガイドさんがついたのだけど、お義母さんが値段交渉をすると、たいてい、お店の人が怒ってしまって、ここでも、誰も何も買わずに終了。

ところが、中国語のガイドのグループは、翡翠のほかに金も見せてもらったらしく、買い物を待つこと1時間。
通りの向こうにあったお店で、あれこれ買って買いぐらいしながら、暇な時間をつぶしていた。

やっとこさ買い物が終了したあとは、行きたい人は上海雑技団の鑑賞へ。
私たちは、近くのショッピングストリートで買い物をすることにしたのだけど、そこで、ユニクロ発見!!
ファミリーたちはユニクロが何か解ってなかったのだけど、私と娘がユニクロ、ユニクロと騒いでいたので、子供4人と私と娘の6人はユニクロに突進!!

いつも、日本で息子の分と3人分買ってくるのだけど、上海でも3人分お買い上げ。
セール品と春物と、ぎゃあぎゃあ言いながら、日本円で3万円ちょっとお買い上げ。
もう良いです。
荷物いっぱいです。
すぐ帰っても良いです。

晩ご飯は、近くのピザショップでピザを。
本当は上海だから、上海レストランへ行きたかったのだけど、ま、いっか。
行きたかったらメルボルンでもあるし、子供たちの行きたいところで楽しんでもらえたら良いなと。

これで、上海からのツアーは終了。
お次ぎは、北京偏。