中国へ行って来ました

3月26日から4月7日までの中国旅行記です

天安門 紫禁城

2012-04-22 18:37:57 | 日記
天安門 紫禁城



北京に到着した日はひどかった。
上海ツアーのバスの中で、隣に座っていたおじさんが、四日目位からマスクをしだしたので、いやーな予感がしたら、案の定、いただいてしまいました。
北京に到着した日に、すでに私と娘はのどが痛く、その上、北京の公害や喫煙者の副流煙が気管支に入り込み、ひどい炎症を起こして熱を出した夜。
幸い、北京はホテルを移動すること無く8日間同じホテルに滞在なので、出かけたくなければ籠っていたら良いし、ある意味助かった。

北京には、昼頃到着した。
空港は、なんとなく物々しくて、上海から北京に行くだけでもパスポートチェックがあったのには驚いた。
空港には水飲み場と、なぜか、湯沸かし器が。
誰もが自由に入れ物さえあれば、好きなだけお湯を持って歩ける。
ここでは、お湯を持って歩くのが当たり前らしい。
お迎えの人が、他のグループが来るまで1時間待ってくれというので、待合所で一休み。
その間も熱がこんこんと上がってきて、翌日の紫禁城だいじょうぶか?と心配だった。

夜は、タクシーに乗って、ローカルのレストランへ行ったのだけど、本当のローカルだったから、なんと、フォークが無いっ!!
フォークが無いレストランなど始めてだった。
有りなんだ。。。
帰りが大変だった。
タクシーが居ない。
居ない上にホテルを知らないドライバーだったからか、ちびっと遠回りされてしまった。
ま、仕方ない。

その夜は、18時に就寝。
寒気がついて、とんでもない夜をすごし、何度も目を覚ましながら朝を迎えた。




朝になって、娘の熱が下がらない。
私の熱も下がらない。
モーニングコールが来ても、行こうかどうしようか、悩んでいたけど、シャワーに入ったらちょっと元気になったし、紫禁城を見ずして中国へ行ったとは言えない!!と、二人でがんばって出かけることにした。

案の定、外は寒かった。。。
10度も無かった。。。
上海と違って北京は公害がひどく、空は曇りっぱなし。
この人たちは青空を見たことが有るのだろうか。
ビルの建て方も、街の整理も、東京に似ていて、今までの上海界隈と違って奇麗だった。
やっぱりオリンピックのあった街は、近代化していて、たくさんあるマンションの窓からは洗濯物が出てなかった。
だけど、「ああ、中国だな」って感じが、あちこちでしていた。
人々は、統制され、私たちが日本でよく見る中国がここにあった。
上海界隈とはエライ違いで、本当に同じ国なんだろうか?と疑ってしまうほど。

天安門広場は、広かった。
ここで、あの虐殺が行われたのかと思ったら、なんだか信じられないくらい平和。
それにしても観光客が多い。
そして、寒いから、帽子や手袋を売っている人も多い。
凧まで売っていた。
本当に広いところなんだけど、ほかに観光地は無いんですか?ってくらい、観光客で隙間がなかった。
これから、この人たちが紫禁城へ行くのかと思ったら、いやはや、どんなことになるんだろうか。

紫禁城は、清朝の最後の皇帝、溥儀が生まれ育った場所でもある。
中国の皇帝は、前の皇帝を殺して、その皇帝の血筋も殺して、新しく皇帝が立つという、血縁を無視したキングダムだったから、溥儀も人民解放の運動が起きたとき、この立派なお城から追い出され、最悪な余生を送ったという。
日本やヨーロッパは、お飾りだと言われていても、血筋が継続している家系だから、絶やそうとは思えないんだろうなぁ。

紫禁城が最盛期を迎えていたのは、明朝だった。
その時の皇帝は、奥様を3000人も抱えていたと言う。
そもそも北京は、5つの王朝で栄えた街で、あの有名なアヘン戦争も、王朝が起こしたようなものだった。
たくさんの政治的な渦が、ここ北京にはある。

しかし、紫禁城は広かった。
広い上に、どこに行っても人人人。
スリもひったくりも多いから、持ち物に気をつけろと何度も言われた。
そう言えば、知らないうちにバッグのファスナーが開いてるときがあったけど、あれは、スリに開けられたのだろうか、自分で開けたのだろうか?
水ボトルが入っていて、財布が見えなかったから諦めたのだろうか?
そのときは、熱が出ていて、ぼーっとしたまま人に押されて歩いていた。

石畳は、明朝のままでとても古い。
屋根の橋に動物が乗っかっているのだけど、それは建物の格を表す。
式典を行う建物は11頭の動物が乗っていた。
皇帝のベッドルームは、9頭。
事務室や召使い、門など、いろんなところに格付けが有って、女性が通れない門などもあった。
英語でForbidden Cityと言われているだけ有って、紫禁城が一つの街になっている。
ドア一つ分くらいの出入り口があちこちにあって、中は迷路のようになっている。
高いところに上ると、周りが一望できるし、細かくあちこちの部屋を見るのも良い。
きちんとした案内書があれば、個人で自由に1日かけて回るのが良いと思う。
ところどころ、ハンバーガーや飲み物、アイスキャンディーを売っている売店も有るし、のんびりできる。

紫禁城の後は、北京で一番おいしいと言われている北京ダックのお店でランチ。
実は、このお店、メルボルンに支店を出している。
北京ではどうやら、そんなに高くないらしいけど、メルボルンでは目が飛び出るくらい高い。
高い割には旨くない。
お茶が一人$4もする。
そこのお店は、清朝の時代から、皇帝が好んで注文した北京ダックと言うことで、北京で一番有名なのだそうな。
全体的に、北京の味付けは塩辛い。
そう言えば、日本の中華もやたら塩辛いところが多かったような気がしたけど、北中国の味なんだろうな。

ランチの後は、私と娘はリタイヤ。
二人とも熱があったので、タクシーでホテルに戻り、3時間くらい昼寝をした。
実は、メンバーに脳卒中で英語が話せなくなってしまった、おじいさんが居た。
彼は、お腹の調子が悪かったらしく、下痢をもらしてしまった。
そのおじいさんも先にホテルに帰ってきていたので、誘って晩ご飯に連れて行った。
中華でもどこでも良かったのだけど、お腹の調子が悪いので、何が良いのかわからないし、バイキングに行くことにした。
そこには、お粥や麺があったし、デザートもコーヒーも果物もあるから、きっと食べれるものがあるだろうと思って連れて行って正解だった。
言葉がわからないから、メニューを相談することもできないし、自由に食べれるものを食べれるだけ取ってくれて、楽しんでもらえた。