尊敬する盧志鴻氏(神戸三江会館理事長)を偲んで
2021年5月31日
岡山県華僑華人総会
会長 劉勝徳
さみしい限りです。
音楽・合唱の戦友 盧志鴻氏が5月8日心臓病でお亡くなりになった事を知りました。
盧志鴻氏とは約43年前、中国四国地区華僑総会のブロック会議で広島代表の一人として知り合い、八仙閣岡山店オープンの為、山陰地方の華僑青年を紹介して欲しいとの依頼があり、鳥取・島根の華僑青年に打診をする。岡山は華僑人口が少ない地域。関東関西なら・・・・。と言う青年ばかり。
八仙閣岡山店社長・盧徳財先生は愛国者として、祖国政府からも信頼がある立派な人。
彼が困っているので、3月にオープンする中国料理店へ素人の私が少しの間だけサポートするという気持ちで1月4日島根から八仙閣広島店へ。
広い宴会場は、どの部屋も宴会のセットが・・・・。本当にこんなに宴会場が満席になるの?!という疑問の私。
その夕方、八仙閣広島店は、どの部屋も宴会のお客様でいっぱい。私は来店するお客様の下足番として、お預かりする履物の半券を渡す役目だ。
宴会が始まる前と終了時は大変。いっぺんに人の集団が現れ、酒臭いお客やら、早く靴をという強引なお客やら、美味しかったよと声をかけてくださるお客等、様々だ。
島根ではこんな光景見たことなく、まず、多くの来店が実際あることに驚いた。
2日目、出勤してランチの準備が終了した後、毎日の私のルーティンとして新聞を読んでいた時、姜成生店長から「そこで新聞を読んではいけない!」と叱責を受ける。あっ!今俺は使われている身なのだ!と自分に言い聞かせすぐ新聞をもとに戻す。
新しく開店する為の準備は大変だ。八仙閣広島店での実地訓練2週間目ですぐ岡山へ。岡山店は、建築中の日本生命ビルの9階に入る事が決まっている、ワンフロアで300名の宴会が可能である。まず、店長(姜成生)、部長(盧志鴻)、私の3名が住む為、岡山不動産へ。八仙閣岡山店から徒歩20分のマンションを契約。
納入取引業者(酒・野菜・肉類)の選定。
ホール・洗い場スタッフの募集。
岡山県民各界へオープンの宣伝等。
様々な作業を3人が分担して行う。
私は、行政との過去の関係のノウハウを生かし、ハローワークで人事募集の為、ハローワークの部屋を無料で借りて行った。店長・部長は、選考はホテルで行うものと考えていたらしく、私がハローワークの部屋で募集した事にびっくり。私は会社に貢献した事を自画自賛。
私は、料理の世界は全く素人。日本で生まれた華僑二世である。家では福建料理のスープの水雲、白切鶏、ビーフンなどは知っているが、北京・上海・四川料理がどのような特徴があるかという事さえ知らない。岡山店オープンにあたり、支配人という肩書を頂く。支配人として私が期待されていたのは、全く中華料理の世界に先入観を持っていない事、また華僑総会での各界各層との繋がりを生かし、多くの人に八仙閣を紹介する事で「拝命」した。
広島店から岡山店オープンの為にやって来た劉総料理長、先崎岡山店料理長、栗栖・和田・障害者の「アキ」、帰国者の青年、元ヤンキーの青年等癖のある若者とオープンに向けて連日奮闘。
癖のある人との人間関係を築くのが第一との思いから、皆で早朝野球チームを提案、業者を含め結成=「岡山八仙閣軟式野球チーム」。地域の職場チームと親睦野球を行った。今の「ANAクラウンプラザホテル岡山」の前身「第一インホテル」チーム等と活発に行った。
早朝野球終了後、全員でモーニングコーヒーを飲みながら試合の反省をする事で大いに盛り上がった。ホール・洗い場のスタッフも応援に駆けつけ、チームワークが出来上がる。
岡山の地でオープンしてから一年間は外交しなくてもいつも満席。二年・三年目と売り上げは下り坂。岡山市役所近くに東急ホテルがオープン、ホテル内に中国料理「南京楼」がオープン、客足がそちらに向く。多くの人は新しい所に流れる。
一週間に一度来店する社長の盧徳財先生から直接私に「支配人、何とか頼む。」という訴えが。私の心の中では、なぜ店長・部長に言わず直接私に言うの?と思った。
盧徳財先生の息子が部長である盧志鴻氏、奥様の弟が店長である姜成生氏。いわゆる親族企業である。身内には言いにくく他人には指示しやすいとは・・・。
時間があれば図書館へ行き、中国料理の歴史と特徴の勉強、調味料の歴史も知る。商売が苦しくお客が減ってくるとお客から「誰がビルの上まで上がるのか、今までもどの店もつぶれ岡山を去っている」と多くの人に言われてきた。その言葉を聞けば聞くほど『なにくそ!』という気持ちになり、必ず9階に上げて見せると自分に言い聞かせた。後日50㏄の中古バイクを購入してもらい、午後2時から4時までの2時間、知らない岡山の街を今日は右、今日は左と営業で回る。大きな宴会場のあるホテル等の宴会予約案内板をチェックして回り、顧客の分析を行った。その顧客の幹事を聞き出し営業を行う。
オープン4年目、県下の教職員がいつも利用している当時の「まきび会館」が、リニューアル工事で半年間休業する事を耳にする。市内80数校で構成する岡山市内の小学校校長会を八仙閣で利用頂く為、役員一人一人にアタックした。退職前の校長曰く「中華料理は脂っぽい料理、我々年配者にはなじみにくい。やはり和食料理を好んでいる。」私は、この校長に対し「中国料理の中でも一番あっさりしているのは北京料理です。駅からも近いし、中国画家・范曽の書画も収集しており、食文化交流をしている店」であることを伝える。校長会・書道会それぞれの幹事に、中国との繋がりや、中国書道界の隷書のリーダー・劉炳森先生との絆を通して食文化交流の店として、各界へ広まり利用して頂いた。
私の上司は、社長を除き店長・部長。このリーダーの指導は全く違う。私の前でよく口論になる。椅子の置き方一つとってもやり方が全く違う。部下の私は逆らえなく、店長がいるときは店長の指示に従い、部長がいるときは部長の指示に従った。
店長は、元神戸中華同文学校の教師をしていた人。歴史などに詳しく、司会時は中国語・日本語を巧みに使い、きれいな良く通る声で多くのお客様を魅了した。
部長は、お客一人一人に対する愛想は随一。初めての対応でも旧知の間柄のような話しぶりは群を抜く。神戸では、市民合唱団にも参加されており、バリトンで私とよくハモッテいた。二人とも音楽が大好き、時間があれば二重唱をよく楽しんだ。
その盧志鴻先生が5月8日逝去されたとの事・・・。ウソでしょう!つい先日神戸華僑総会新会長・陳昆儀氏を擁立し、神戸華僑会館を4階建に改築する構想と、今後の事業の展望を聞いたばかり。
また、私ども華僑華人総会の創立40周年記念大会にご本人のご出席を頂き、一緒に築いてきた岡山の総会を発展させて来たことを喜んで頂いた。
当日、現職の法務大臣が会場に駆けつけて祝辞を頂いた事に盧先生はびっくり。各地の華僑総会、総領事館・国会議員・県市の自治体及び各界の友好団体・友好人士に祝って頂き、会場が全国各地の愛国団体・個人からのスタンド花で埋め尽くされている事にびっくり!!
八仙閣岡山店は閉店してしまったが、今も多くの市民の心の中に深く残っている。
八仙閣の正面に飾ってあった范曾画伯の「八仙図」。范曽は、岡山後楽園の名前の由来に縁があり、「先憂後楽」の言葉を残した北宋の詩人・范仲淹、范曽の11代先祖である事で縁は深い。
岡山大学教育学部教授・全日本合唱連盟理事長・糸賀英憲先生と、朝日新聞岡山支局長・守本孝先生から、店が終わったら紹介したい人がいると言われ、私を両備ホールディングス・松田基先生宅へ案内された。当時、松田先生は、「岡山市ジュニアオーケストラ」の後援会長をされていた。糸賀氏と守本氏が、私を八仙閣の支配人でピアノ教室をしていることを紹介。ピアノ発表会を個人的でなく、岡山と洛陽の音楽交流会を企画する様助言され、松田先生に協力して頂くようお願いする。すぐその場で岡山市長・岡崎平夫氏宅へ電話し、経済界も協力するので、自治体も協力する様伝えられた(政治は夜動くのだなとその時私は感じた)。
松田基先生は、翌日早速、私が働く八仙閣へご来店。エレベーターを9階で降り、目の前の「八仙図」を見てしばらく動かれず。「この画家はどういう人?私は竹久夢二の絵を集め美術館を持っている。夢二の筆のタッチは女っぽい、この人の筆のタッチは豪快で男性的。そのタッチに魅了された。」私はそれを聞き、范曽を紹介した。
それから3年後、西大寺に「范曽美術館」が開設された。
岡山駅近くの日本生命第二ビル9階で9年間にわたるサラリーマン生活を卒業、盧志鴻先生の紹介で中華料理店「天安門」を受け継ぎオーナーに。時を同じくして、岡山空港・瀬戸大橋が開通した。中国のリーダー・李鵬、江沢民、朱鎔基にお会いした。また、中国大使館の指導で「中國旅行社」を設立。お披露目会の席上、神戸からの中国獅子舞も華やかに演舞を披露、現駐大阪総領事館代理総領事(当時の領事)・張玉萍女史もお披露目会に参加して頂いた。
松田基氏、糸賀英憲氏、盧徳財氏、姜成生氏、盧志鴻氏も今は亡き人。
私も今は75歳。いつか先生方のところへ着いたら温かく迎えて頂き、「雪の山」を一緒に歌いましょう。
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