それでも、まぁ、生きていますよ。

ずっと放置してしまっていました。
その間に老後に差し掛かりました。
元気になれるように日記を書こうと思います。

軌跡

2015-08-27 22:56:10 | 
よく考えてみると母は25年くらい前から惚け始めたのではないかと思います。

初めは、物忘れといってすませられる程度でした。

そんなある日、父が脳梗塞で倒れ入院したのだけれど、その時母からかかってきた電話が意味不明で、大変だったなぁ。

父の脳梗塞の場所がラッキーで、ほぼ、全く普通になったので、それは良かったです。うちの子達も父に可愛がってもらったし、母のことも頑張って面倒みてくれていましたのでね。

そこから五年くらい後に実家の近くに戻ってきて、母のお世話をするようになりました。

初めは髪を染めてあげること。
そして、美容院に行きたがらない母の髪を私がカットするようになりました。私が切らなければインディアンの女みたいな頭でずっといるのでね。
カットの腕前はあがりましたよ。

次第に体を洗ってあげなければならないほどになり、どうにもならなくなったので施設に入所したんだけれど。

はじめは泣いてばかりいました。私がです。色々な手続きで呼ばれることも多く、不馴れだし、不憫だし。泣きながら車を運転して帰ったものです。

何度も何度も突きつけられる現実に耐えて、お世話してくださる職員さんに感謝して、乗り越えないとね。

もう、泣かなくなりましたよ。

↑これは姉が育てているベリーです。姉はとても育てるのが上手なのです。陽気だから植物もよく育つのかな?


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