東京が震えた日 二・二六事件、東京大空襲 昭和史の大河を往く第四集 (昭和史の大河を往く (第4集))保阪 正康毎日新聞社このアイテムの詳細を見る |
本書は1945年3月10日の東京大空襲のことを扱っている。
著者はまず、日本の軍部が米軍による日本の空襲について全く予想していなかった驚愕すべき事実を確認する(対米開戦を最終的に決定した1941年12月1日の御前会議で原枢密院議長の質問に対して統帥部からの明確な回答はなかった)。次に、中国の臨時首都になった重慶に対する1939年に始まった無差別爆撃に対する報復としてアメリカで日本に対する無差別爆撃の必要性が叫ばれていた事実に注目している。この重慶爆撃は世界で最初の無差別爆撃であった。死者は3万人とも言われている。著者はこの2点が東京大空襲を総括する基本的前提であるという。
軍部はこの被害の状況をひたすら国民の隠し、いっさいの対策を講じなかった。天皇はしきりに催促をして、被害の大きいことを知った。天皇は被災地を回りたいと侍従につたえたが、軍指導者たちは被災地を見せまいとしている節があった。強い希望によって3月18日に視察が実現した。「関東大震災の後にも、馬で市内を巡ったが、今回の方が遥かに悲惨だ。あの頃は焼け跡といっても、大きな建物が少なかったせいだろうが、それほどむごたらしく感じなかったが、今度はビルの焼け跡などが多くて一段と胸が痛む。侍従長、これで東京は焦土になったね」
本書には例の東京大空襲の司令官であったルメイ将軍のことが出てくる。1964年12 月7日 、時の政府はこともあろうにこのルメイ将軍に最高の勲一等旭日大綬賞を与えた。「ルメイ将軍が日本の航空自衛隊の育成に貢献した」のが理由である。この叙勲に関与したのは佐藤栄作総理大臣、橋本登美三郎官房長官、小泉純也防衛庁長官(小泉純一郎の父親)である。著者は当時参議院議員だった源田実が強力に働きかけたと書いている。
この日本政府の何ら恥と思わぬ叙勲に著者は憤りを感じている。
こうした態度が、久間元防衛庁長官の原爆投下正当化論に通じていると見る。それだけ根が深い。
著者は日本にもあった 仁科芳雄博士らの原爆開発チームがあったことを批判しないと、首尾一貫した原爆否定、戦争否定の立場を貫けないと主張している。
1昨日、TBSが報じた、「東京大空襲」はこうした事実を伝えているので、関心のあるかたは再放送をリクエストしてください。