どうも
秋になりましたね
きりんです。
Mとお別れしました。
Mは台湾の血が流れていて
そういう人を集めて20日間台湾で暮らさせる
っていう国の企画するイベントに参加して
そこでフランス人の女の子と仲良くなり
好きになったらしいです
離れるのは
私を想ってのことなのは理解できます。
頭ではわかっても
心は追いつきませんでした。
別れを告げられたのは日曜の夜
彼が東京の内定者懇談会にいって、帰ってきたその日です
金曜に出発したのですが
その前日に
様子がおかしい彼から
「うつ病っぽい」
とカミングアウトされ、3日間の間彼のために何がしてあげられるだろうかと
悩んで、支えていこうと決意したその時
別れよう
と言われたのでした。
私の心はズタズタでした。
しかも最初は「一人になりたい」という言われ方でした。
男の「一人になりたい」発言ほど信じられないものはないのです。
なんで最初信じたんやろう。信じたかった。好きだとおもってたから。
でも本当は違った。
女として20日間だけのフランス人に負けたんです。
悔しすぎた。
女として磨いてこなかったわけありません。
Mのことは大切に思ってました。
でも
それを「お前は俺に依存しすぎやねん」と言い切られるとは。
確かに
依存体質なのは本当。
でも
半年後に社会人になって、自然消滅するんやろうな
ってのは考えてた。
だからあと半年楽しみたかった。
でも
それも許さないっていう。
これがシュタインズ・ゲートの選択なんだ。
と思うと理不尽な出来事も飲みこめます。
学校のカウンセリングに行って
ひたすら泣きました。
カウンセリングの先生は「彼が視界にいなかったことがなかったから、彼がいないとって思い込んでたのかもね」
と言って、私はその言葉に気付かされた。
私はMが好きとか嫌いとか、分からないほど鈍くなってたけど
別れを告げられた時、何より嫌だったのは
【一人になりたくない】ということだった。
好きとか
嫌いとか
もうわからん。
でも
一人になりたくなかった。
でもでも
それは
なったことがなかったから、一人じゃ生きてけないと【思い込んでた】んやろう。
一人になりたいのなら
なればいいんです。
この広い2LDKに残されるのはちょっと辛いけど
一人になりたくない私が出ていく準備をするとしたらすごい面倒くさくなって
ならば彼に出て行ってもらって
友達やら自分に迷惑かけたらいい と出て行ってもらうことにしました。
うつ病の時に別れとか、環境の変化とか、決断とかあまりしない方がいいのは知ってます。
それでも彼が一人になりたいと言うんやから。させてあげます。それでどうなろうと私には関係ないから。
私には頼るべき人がたくさんいる。友達にはこのことですっごくお世話になった。
家族には一緒に暮らしていたことは内緒にしてたから言えなかったけど
父の妹さんには言ってたので
電話で話を聞いてもらって
泣かせてもらった。
私は
一人じゃない。
だから大丈夫。
自分にも言い聞かせる。声に出して耳に聞かせる。泣きやめることが出来る。
この騒動で
Mと私の間に一人男友達がいるんやけど
私は彼が中立の立場だと思っていて、
相談してたら、全部Mに筒抜けだった。
彼はM側の人間だったのです。
男は信頼するものじゃない。
せっかくMに出会って
信頼してもいい と思えてた価値観が元に戻りました。
女が男に向かう時は、ちょっとくらい演技しないとだめなんやろうな。
次は盲目的に私のことしか見ない人を好きになろう。
一人でいると
たくさん考えてしまいます。
9月に一緒にバリに行ったのも
M自身が行きたかっただけか。
私の誕生日にわざわざ
俺は30歳まで結婚する気ないし、その相手がきりんとも限らない
と言われて泣かされたのも
今では腹立たしくてかないません。
台湾に行ってたのは
8月中だったから。
バリの時はすでに心フランス人にあり
だったんかと思うと
バリで撮った写真を消去したいくらいです。
2人で行った思い出の品
私があげたもの
全部捨てたくなります。
でもそれは間違ってる。
そんなこと考えている暇があったら
私は私のために生きるべきです。
そう思って
バイトも増やしたし
園芸のことをもっと学ぶために、作業士の人に教えてもらうことにしました。
ご飯は喉を通らないけど
減量中と思って過ごすことにしています。
筋トレはかかさないようにしているし。
私は内定も決まってて
大学も残りあと少しやのに
こんなところでくじけるのはもったいないんやから。
脳内では
もう何もしたくない自分と
何かしないと病んでしまうからと思っている自分がいます。
なんとか後者を奮起させて
生きていくしか
私に道はないんです。
とりあえず
今日も泣くけど
しょうがない。
なんで泣きたいかわからないけど
しょうがない
自分が泣きたいらしいんだから
泣かせてあげないとね