明るい社会づくり運動埼玉県協議会(奥田昌利会長)は、宮城県南三陸町で津波の被害に遭い志津川高校避難所で避難生活を送る幼稚園から高校生までの子どもたち20人とその保護者13人に夏休みを楽しんでもらおうと7月25日(月)から27日(水)まで2泊3日の「埼玉いやしのツアー」に招待しました。
明社埼玉県協議会と志津川高校避難所との関わりは、昨年秋の人材養成セミナー「さきたま明社塾・第1回研鑽会」に講師として招いて以来、深く関わって来た[罪人の友]主イエス・キリスト教会・進藤龍也牧師が盟友のキリスト聖協団西仙台教会・中澤竜生牧師が東日本大震災発生直後から支援に入った同避難所に共に幾度も救援物資を届ける等の支援活動で培われた深い絆の中から生まれたもので、今回の行程には参加者からの強い要請を受けて両牧師夫妻とも参加されました。
志津川高校避難所の一行は25日早朝、南三陸町を出発してさいたま市大宮区の鉄道博物館に直行し見学。翌26日は東武動物公園に行く前に、午前9時半、原発事故で福島県双葉町の町民が集団避難している加須市の旧騎西高校を訪れ、音楽で激励すると共に苦難に立ち向かう思いを分かち合いました。
子どもたちは志津川高校避難所を生活支援基地にしていた沖縄の自衛隊員から伝統の楽器「三線」を習って結成した「志津川高校避難所サンシンズジュニア」のメンバーで、中高生が三線、小さい子たちもコーラスを担当。校舎中庭で双葉町の人たちを前に沖縄民謡「安里屋ユンタ」など4曲を披露した。3か月以上練習し、前々日にはフジテレビの27時間テレビで沖縄出身のコーラスグループBEGINと念願の共演を果した子どもたちは三線を演奏し、元気な歌声を響かせ、最後には皆で「上を向いて歩こう」を合唱。物悲しい三線の音色と子供たちの一生懸命な姿に感動した双葉町の人たちは大きな拍手を送っていました。
最初に自衛隊沖縄部隊から三線を習う切っ掛けを作った高校2年、工藤さん(16)「双葉町は町があるのに原発事故で戻れない大変さがある。演奏で楽しい気持ちになってもらいたかった」南三陸町からのツアー参加者は全員が家屋が流出又は全壊。キーボード担当の内海君(15)は津波で行方不明だった父親が奇跡的に5日前に4ケ月ぶりに悲しい姿で家族の元に戻って来たばかりで、今回は避難所側世話人の母親や妹、祖父母と共に参加。「避難所生活の中で沖縄の音楽は自分にとって『癒やし』であり、同じく厳しい現実に直面している双葉町の人たちに対して、皆さんが早く元の生活に戻れるように願って演奏した」子供たちのリーダー格の高校3年生の橋本さん(18)も親戚1人が行方不明。「同じ被災者だから大変さも分かる。自分たちには小さなことしかできないが、喜んでもらえて逆に元気づけられた」又、子供たちの演奏を聞いた双葉町の皆さんは「大変な状況なのに遠くから来て励ましてくれ、感動した。
お互いに苦難を乗り越えて頑張って行きたい」と涙ぐむ人もいました。 最後に、子供たちの演奏にじっと耳を傾けていた双葉町・井戸川克隆町長の言葉をお伝えします。「皆さんのなさったことは凄いことです。多くの国民から我々は沢山支援頂いた。しかし、今日は、同じく東日本大震災で大きな被害を被った津波被災者の皆さんが原発事故被災者の我々を励ましに来てくれた。今、被災者は一方的に支援されることに慣れてしまっているが、逆に被災者同士でも支援し励まし合えることを皆さんが教えてくれたのです」井戸川町長は一行にお見舞いまで託され、わざわざバスの中に来て子供たち全員と握手。真夏の日照りの中を最後まで手を振って一行のバスを見送ってくださいました。 志津川の子供たちの旧騎西高校訪問の模様はTV埼玉から夕方のトップニュースで放送され、翌日の読売新聞・埼玉新聞でも報道。共同通信社からは地方紙各社に配信されました。
(明社埼玉県協議会事務局)
明社埼玉県協議会と志津川高校避難所との関わりは、昨年秋の人材養成セミナー「さきたま明社塾・第1回研鑽会」に講師として招いて以来、深く関わって来た[罪人の友]主イエス・キリスト教会・進藤龍也牧師が盟友のキリスト聖協団西仙台教会・中澤竜生牧師が東日本大震災発生直後から支援に入った同避難所に共に幾度も救援物資を届ける等の支援活動で培われた深い絆の中から生まれたもので、今回の行程には参加者からの強い要請を受けて両牧師夫妻とも参加されました。
志津川高校避難所の一行は25日早朝、南三陸町を出発してさいたま市大宮区の鉄道博物館に直行し見学。翌26日は東武動物公園に行く前に、午前9時半、原発事故で福島県双葉町の町民が集団避難している加須市の旧騎西高校を訪れ、音楽で激励すると共に苦難に立ち向かう思いを分かち合いました。
子どもたちは志津川高校避難所を生活支援基地にしていた沖縄の自衛隊員から伝統の楽器「三線」を習って結成した「志津川高校避難所サンシンズジュニア」のメンバーで、中高生が三線、小さい子たちもコーラスを担当。校舎中庭で双葉町の人たちを前に沖縄民謡「安里屋ユンタ」など4曲を披露した。3か月以上練習し、前々日にはフジテレビの27時間テレビで沖縄出身のコーラスグループBEGINと念願の共演を果した子どもたちは三線を演奏し、元気な歌声を響かせ、最後には皆で「上を向いて歩こう」を合唱。物悲しい三線の音色と子供たちの一生懸命な姿に感動した双葉町の人たちは大きな拍手を送っていました。
最初に自衛隊沖縄部隊から三線を習う切っ掛けを作った高校2年、工藤さん(16)「双葉町は町があるのに原発事故で戻れない大変さがある。演奏で楽しい気持ちになってもらいたかった」南三陸町からのツアー参加者は全員が家屋が流出又は全壊。キーボード担当の内海君(15)は津波で行方不明だった父親が奇跡的に5日前に4ケ月ぶりに悲しい姿で家族の元に戻って来たばかりで、今回は避難所側世話人の母親や妹、祖父母と共に参加。「避難所生活の中で沖縄の音楽は自分にとって『癒やし』であり、同じく厳しい現実に直面している双葉町の人たちに対して、皆さんが早く元の生活に戻れるように願って演奏した」子供たちのリーダー格の高校3年生の橋本さん(18)も親戚1人が行方不明。「同じ被災者だから大変さも分かる。自分たちには小さなことしかできないが、喜んでもらえて逆に元気づけられた」又、子供たちの演奏を聞いた双葉町の皆さんは「大変な状況なのに遠くから来て励ましてくれ、感動した。
お互いに苦難を乗り越えて頑張って行きたい」と涙ぐむ人もいました。 最後に、子供たちの演奏にじっと耳を傾けていた双葉町・井戸川克隆町長の言葉をお伝えします。「皆さんのなさったことは凄いことです。多くの国民から我々は沢山支援頂いた。しかし、今日は、同じく東日本大震災で大きな被害を被った津波被災者の皆さんが原発事故被災者の我々を励ましに来てくれた。今、被災者は一方的に支援されることに慣れてしまっているが、逆に被災者同士でも支援し励まし合えることを皆さんが教えてくれたのです」井戸川町長は一行にお見舞いまで託され、わざわざバスの中に来て子供たち全員と握手。真夏の日照りの中を最後まで手を振って一行のバスを見送ってくださいました。 志津川の子供たちの旧騎西高校訪問の模様はTV埼玉から夕方のトップニュースで放送され、翌日の読売新聞・埼玉新聞でも報道。共同通信社からは地方紙各社に配信されました。
(明社埼玉県協議会事務局)