しーさる日記

三陸駅巡り

今朝は5時起き、早朝の気仙沼を20分ほど歩く。気仙沼から乗ったのは列車でなくバス。大船渡線の線路や駅の一部が津波で流されたため、残った線路を道路にしてバスを走らせているのだ。線路を道路にしたところは一般車の通れない専用道路だが、単線の用地なのですれ違いできるところは限られる。

1時間ほどで大船渡に到着、そこから陸前赤崎駅までの3キロを30分で移動しなければならない。震災から8年経ったとはいえ、道路の復興作業をしているところがあり、数ヵ所で遠回りさせられる。駅ホームに上がったのは列車到着の2分前だった

陸前赤崎からは三陸鉄道の駅巡りに入る。
三陸駅に降りたら、下の方に広い土地が。小学校があったところだ。非常階段で逃げることができ、被害を最小限におさえたそうだ。
綾里駅は1時間ほど時間があったが、小雨がぱらついてきたので、早々に戻ってくる。世間話したおばあちゃんは86歳、生まれてすぐに昭和三陸大津波の被害に遭って、父親を失ったとのこと。そのため、父親の顔を知らないそうだ。今までチリ沖地震、東日本大震災と津波を経験したけど、どれも津波のパターンが違うとのことだ。ハザードマップ関係なくとにかく高いところが逃げた方がいいのだな。

恋し浜から50分ほど駅間移動、海沿いとはいえ上り下りが多いし、車が通るのに歩道もない。

12時くらいに釜石に到着、駅前でお祭りをやっていたので、出店でうにめしを購入した。この先の行程で食べ物を買えそうな所が見つかったのは4時過ぎだったので、この判断は正しかった。

午後からは釜石から北を行ったり来たり。釜石から宮古も震災の津波で流されたが、鉄道として今年3月から営業運転するようになった。それに伴い、観光客を誘致した。賑わうのはいいが、旅行ツアーの乗る列車が通勤ラッシュ並みに混雑、三陸鉄道の列車は一番前から降りるわけだが、その部分が混雑して、途中駅での下車客が困っていた。降りれない車両は空いている席もあったが、そこに荷物を置くマナー違反も目立った。再来週のラグビーの時はどうなるのだろうか。

吉里吉里というところでバスに乗って大槌へ。大槌は町のほとんどが津波で流され、今はあちらこちらに復興住宅が建っていた。3月に復活した駅はひょっこりひょうたん島をイメージしたもの、近くの島がひょうたん島のモデルと言われ、駅舎のあちらこちらにひょうたん島のキャラクターの像があった。

両石駅から鵜住居駅まで40分ほど徒歩移動、鵜住居駅前にあるいのちをつなぐ未来館で震災の時の出来事を学ぶ。この鵜住居駅周辺も昔は民家が建っていたが津波で流された。特に駅近くの防災センターは160名以上の尊い命が失われた。今ではそこに、いのちをつなぐ未来館や追悼する記念碑が建てられ、駅の向こうにはラグビースタジアムができた。

豊間根というところからバスで陸中山田へ。ここも復興住宅やスーパーが新しく建てられ、10年前はどういう町かわからないくらいだった。駅巡りは7時前に終わった。

夕食は宮古駅前で、刺身とタラのフライ定食、タラのフライが柔らかかった。
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