わただま 摘んだ?

風になる 花のかおりをまとうこと 遠い訪れを搬ぶこと 水のありかを囁くこと そして こっそり石たちの夢にすべりこむ

なにがふしあわせなことなのか

2006-04-13 11:18:23 | かぜは・・・
それが 母親に決められるだろうか
苦にならないでこなせることが
ひととぶつかりあわないことが
すなおに あかるく げんきでいることが

ほんとうに
そんなにそんなに
だいじなことなのだろうか

失敗しないことがいいのなら
たちどまることを知らないだろう

なんでも一度で身につくのなら
わすれていけない大事なことを
見わける力がそだつだろうか

どうして
ことばが立ち消えるのか

正しいことをしていても
なぜひとに裏切られるのか

まっさらなこころには
理解できない


人の三倍てまかけて
やっと追いつく子どもを持って
缺(か)けていた場所をみせられた

いままで
さらりとすりぬけた
失くしていた時間

あたりまえと
見過ごしてきた すべてが

あっけなく微塵に帰し

みひらくための時機ともなった


してやれたことなど なにもない 
だが
ひとつ 記することはある

なくしそうになったとき
胸に衝(あた)ったちいさなかけら

そこにいるのは
わたしに属さない

どこまでたどっても重ならない 
別個の人格
だから

母親という監視なく
あるがまま きみはきみ

判断するなにものもさまたげない
そして
無限という 約束を受け入れた
自由














4 Comments

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時を経れば (風の森)
2006-04-13 18:35:11
いつのまにか母は八十歳。

認知症。

季節がわからないから、着るものもわからない。

なのに、今もベッドの上で、すぐお説教。



いくつになっても、私は母の作品。



残りすくない、なんてゆたかな時間。
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やさしさという (Suzuka)
2006-04-13 20:13:29
贈り物を下さったのはお母様。

そして。

人生は、これからさ
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Unknown (風待人)
2006-04-18 18:19:06
まだまだヒヨッコの私ですが、少なくとも頭の中では



最近やはり「子どもは親の想いとは別の世界に住んでいる」ことを



ささやかながら、確信してしまったような気がしています。



日々のことは試行錯誤の連続で、迷うことも多いけれど

親としての気持ちは、死ぬまで持ちつづけていても

できること、あえてしないことの選択は

その都度していくことになるのでしょうね・・・



新しい家族の形を思い描きながら

先日お話した映画「PAY IT FORWARD 」のことを書いてみましたので

TBさせてください!
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この国でも (Suzuka)
2006-04-19 21:42:08
連綿と女たちの間で受けつがれてきたことのような気がします。

運動などという大げさなものでなく、

あたりまえの受け渡しとして。

それが途切れてしまっているのだとしたら。

きっと

私たちに責任があるのでしょう。
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