むかし、新聞屋さんのお歳暮か、
買いもとめたのでない暦が 毎年実家にありました。
「そんなもの読んで」という非難のまなざしを感じながらも
活字に飢えた小学生は、ページを繰りつつ、イッパクスイセイだの、
ミズノエ・ミズノトの規則性だの、
赤口の読みから守り本尊まで諳(そら)んじておりました。
して。
子供心にもやっかいナと思ったのが、
廻金神(まわりこんじん)、金の遊行というやつでした。
おそろしげなイラストつきで、冬に庭をいじるは大凶などと、
解説してありまして。
一家崩壊は玄関の「逆さ柱」が原因、なんど
声高にこそ語られねど 子どもの耳に
はいりそうではいらないあたりの音域で
ささやかれたりもした。
暗くなれば
ぱちりと電球の上のスイッチをひねったころのこと。
天井に暈のかげが生まれる時代も過ぎ去り。
方位がどうこういうまえに、
前提とすべき意識から もはやくずれた気がします。
されど。
ぱっくりと足踏み入れれば喰われてしまう
見えない溜りはいまなお、そちこちにのぞき。
漫画命のオタクであるとか。
骨董狂いの隠居とか。
そこさえ押えればあとは真人間、の
一途なれば まだしもかわいげあるものを。
金神の遊行ならぬ、物狂いのあれやこれ
はやり病をつぎつぎ拾ってこじらせて
治るついでにまた拾う。
たちが悪いというべきか。
膏肓(こうこう)に入らぬというべきか。
つき合い慣れたつれあいは
「じき飽きる」
高くくってるのやら 達観や。
煩悩の豊かさで一歩もひけはとらず、
同病相哀れむという 落ちかもねぇ。
たいがいは 周期的に繰り返す
‘憑き’のパターンであるけれど
ぱったり途絶えてしまった波もある。
・・・どころか、
久しく映画も小説も恋愛ものを観ていない。
どうしてなんだか
よくは わからなかったけど。
どうやら
一の鬼門は大嶽丸どのが
水も漏らさず固めてるような。
買いもとめたのでない暦が 毎年実家にありました。
「そんなもの読んで」という非難のまなざしを感じながらも
活字に飢えた小学生は、ページを繰りつつ、イッパクスイセイだの、
ミズノエ・ミズノトの規則性だの、
赤口の読みから守り本尊まで諳(そら)んじておりました。
して。
子供心にもやっかいナと思ったのが、
廻金神(まわりこんじん)、金の遊行というやつでした。
おそろしげなイラストつきで、冬に庭をいじるは大凶などと、
解説してありまして。
一家崩壊は玄関の「逆さ柱」が原因、なんど
声高にこそ語られねど 子どもの耳に
はいりそうではいらないあたりの音域で
ささやかれたりもした。
暗くなれば
ぱちりと電球の上のスイッチをひねったころのこと。
天井に暈のかげが生まれる時代も過ぎ去り。
方位がどうこういうまえに、
前提とすべき意識から もはやくずれた気がします。
されど。
ぱっくりと足踏み入れれば喰われてしまう
見えない溜りはいまなお、そちこちにのぞき。
漫画命のオタクであるとか。
骨董狂いの隠居とか。
そこさえ押えればあとは真人間、の
一途なれば まだしもかわいげあるものを。
金神の遊行ならぬ、物狂いのあれやこれ
はやり病をつぎつぎ拾ってこじらせて
治るついでにまた拾う。
たちが悪いというべきか。
膏肓(こうこう)に入らぬというべきか。
つき合い慣れたつれあいは
「じき飽きる」
高くくってるのやら 達観や。
煩悩の豊かさで一歩もひけはとらず、
同病相哀れむという 落ちかもねぇ。
たいがいは 周期的に繰り返す
‘憑き’のパターンであるけれど
ぱったり途絶えてしまった波もある。
・・・どころか、
久しく映画も小説も恋愛ものを観ていない。
どうしてなんだか
よくは わからなかったけど。
どうやら
一の鬼門は大嶽丸どのが
水も漏らさず固めてるような。
あなたと違うのは、もうす~っかり忘れて、まるっきり役に立たないことじゃよ。
あきまへんわ。
厠は、他の部屋から離れてて、廊下には影がさし、いつも小窓があいていて・・・
そこで研究していたなんて、あなたはエライ!
蛇足ですが、楳図かずお氏は私が小学校時代を暮らした町の人で、姉のクラスメイトと結婚しました。彼女はチョー美人で「クレオパトラ」と呼ばれていました。美人の代名詞がクレオパトラだなんて、時代がわかっちゃうね~。
高野山なら、林間学校
奈良なら遠足、どちらもお隣の県ですにゃん。
そいで、きっとそのクレオパトラさんが
おろちのモデルなんですね。