GooのHP 2002 6月~2007 9月 アクセス62200?くらい?
(10月1日にはHPがまっさらで 確認できず)
こちらでもよろしくお願いしま~す
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GOOの次のOCNのHP TOPの御言葉
人が神を愛するなら、その人は神に知られているのです。(1コリ8:3)
コンテンツとっぷ
ぷろふぃーる
のーとぶっく
びーびーえす
りんく
ふれんず
stranger in the …(足跡)
現在 23836 hit!!(since 2007/08/01 00:33)
プロフィール
ID : kazenoiro
他のサイトのURL
http://blog.goo.ne.jp/real-vine/
(↑ 他のサイトとは blog「ひとやすみ」です。)
風のいろ と 呼んでくださいね。
本当は 風にしたかったけど 風の好きな方 たくさんいらっして。
”いろ”をつけてみました?
風のいろ… 何色でしょうね?
空の色? 草の色? 夕焼け雲の色? 花畑の色?
2002年6月~2007年9月まで
Gooの無料HPでお世話になっていました。
9月でサービス停止ってことで OCNにお引越し
よろしくお願いします
GooでのIDは real-vineでした。
real-vine の由来は 聖書からです。
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わたしはまことのぶどうの木(the real vine)。・・・・・
・・・・あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、
わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。
(ヨハネの福音書 15章)
娘が二人います。彼女たちが幼いとき離婚しました。
おかげさまで娘たちは、社会人になりました。
この後の歩みは、神さまがご用意くださっています。
苦しいことも涙することも多々ありますが
神様がくださった道を、ぽこぽこ歩いていきたいです。
Jesus Christが大好きです♪
受洗日は1995年10月29日、第一回大洗キャンプの日曜日
★当HP内でご紹介する聖書の御言葉は
特に断りがない限り、 基本的に
日本聖書刊行会様発行の新改訳聖書から引用しています★
☆ここから先は・・・「私の心の秘密箱」的 書き込みです。
ここを見つけた方は・・・どうか
そっと読んで 内緒にしておいてください。
☆匿名で 内緒のページも作ったりしますが
誰とも交流がないので 虚しくなり 結局閉鎖する、というのを繰り返しています。
☆ここから先は・・・匿名のページと 風のいろのページとの
中間的な位置にあるものでしょうか?
見つからないといいなあと思いつつ書き
でも 文字として 気持ちを外に出したいなと思って 時々書きます。
厚着しすぎた服装のように あれやこれや
たくさんのものを 抱えすぎた自分。
ああ、あれも捨てて これも捨てて
もっと身軽に 軽やかに生きたいのに!
欲張りな私には それができなくて…。
いつになったら 私は賢くなれるのだろう?
この世界では 誰もが孤独で。
私にはそれが耐え難くて。
それで私は求めました。
永遠に愛してくださる方を。
私を「このまま100%」愛してくださる方を。
人は信仰なんて幻だと言うかもしれません。
でも、私が生きて行くには
この 「永遠に変わらない愛」が 絶対必要なんです。
それを 神様のほかに 誰が与えてくれますか?
私達ひとりひとりのうち 誰が天国に招いていただけるのか
私達にはわからないのではないか、という思い、
ずっとありました。
この考えって やっぱり間違っているのでしょうか?
最後の審判をくだされるのは 神様で
私達には神様の御心を知ることはできないから。
不信仰な思いだったら ごめんなさい。
↓↓↓
その後… ある人から教えていただきました。
一度救われたら、一度主を受け入れたら、
私達は主から捨てられることはない!と。
良かった~♪
誰かがそっと見守っていてくれます。
ただそれだけで 元気が出ます。
ありがとう。
ありがとう。
その手紙を 私は心をこめて 丁寧に書いた。
けれど 手紙もプレゼントも 喜ばれなかったかもしれない。
私は また友をひとり 失うのかもしれない。
しかし、御子なる主イェスよ。
私は歩いて行きます。
あなたに続く この道を。
これまでも。これからも。
私は今は 涙とともに種を蒔き
やがて 喜び叫びながら刈り取りたいです。
その日まで 主よ。
私を導き、お守りください。
しつこくされると 拒否できない自分がいます。
幼い日から そうでした。
でも あんまりしつこくされると
やがて 大嫌いになってしまいます。
一度拒否し始めると もう心を開けません。
どうしてこんなに極端なのか。
もっと バランスのいい性格に生まれれば良かったのにな。
「存在の耐えられない軽さ」
という本があります。
映画にもなりました。
どんなストーリーなのだろう。
気になるなあ。
言葉を発すると 誰かが傷つくね。
だったら 黙っていた方が良いと思うときがある。
人は自分の傷には敏感だが、他人の傷には鈍感だ。
想像力の欠如、かな?
(マタイの23章)
彼らのしていることはみな、人に見せるためです。
忌まわしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。
あなたがたは、はっか、いのんど、クミンなどの十分の一を納めているが
律法の中ではるかに重要なもの、
すなわち正義もあわれみも誠実もおろそかにしているのです。
誠実さのない人が 一番嫌いです。
人を利用する人。。。 耐えられません。
逆にどんなに欠点があっても 誠実な人は心から信頼できます。
『置いてきぼり』
あー、だれもいないなんて、、、。
なんだか置いてきぼりにされた気分。
ちょっぴりさびしいなあ。
ねー、どこにいるの?
このごろPCを開けられない日さえあったから
つい日記を見逃しちゃってたんだ、、、。
ごめんね。
元気かな~?
症状が辛くなった?
何もわかってあげられなくて ごめんね。
メールしようかとも思うけど
何を話したらいいかわからないから
しばらくこのままでいるね。
すぐに元気を取り戻してくれると嬉しいな。
二十歳の頃・・・私は自分が絶対地獄に行くと思い、恐れていた。
生きている百年足らずの間は、苦しいことも
意思や理性の力で 何とか緩和できるかもしれない。
しかし、もはや自分の意思など通用しない地獄に送り込まれたら
そこは 何千年、、、、と続く苦しき世界。
逃れようもないし、緩和することもできない。
それがずっとずっと続くのだ。
そんな地獄行きから逃れたくて、若い私は
何でもいいから宗教を求めた。
仏教でもキリスト教でもなんでもよかった。
私を地獄行きから救ってくれるなら。
(聖書は 教養と読み物を兼ねて すでに持っていた。
ただし頂き物だったけれど。)
某仏教系組織の若者と知り合い、もうちょっとで
入会する所まで行った。(父母はその組織が大嫌いだったので
私のことで 特に母が大泣きしたと、妹から聞いた。)
しかし、ちょっとしたことで、その組織にずっと留まることは
私にとって きっととても難しい事だろうなと 考えを撤回した。
そうなってくると、あれほど地獄を恐れていた私だが
憑き物が落ちたように、宗教のことはあまり考えないようになっていた。
天国と地獄について 次に真剣に考えたのは
三十代半ば~後半の頃。 病院に勤務していた時だ。
その頃も、一人暮らしのお年寄りが騙されて
財産をすべて奪われるという事件が起きていた。
私は、ある人が、すごくすごくいい人で、何にも悪いことをしたことがなくて
それなのに悪い奴の餌食になって 不幸のうちに死んでいく時
せめて神様のような存在がいらして、その人のために
死後、楽しい幸せな世界に住まわせてくださらなかったら
その人の人生って いったい何だったのかなと
せつなくなってしまった。
神様のような存在がいらしてくださらなかったら
この世でいいように貪り生きた奴だけが
いい目を見、そうでない人は馬鹿を見る、それだけが
人生の真実だとしたら なんて人の命は、人生は
悲しいだろうと 思った。
(私は我侭だし悪いこともちっとはしたし 仕方ないけど
本当にちっとも悪いことをしたことがないのに
損な生き方をしてなくなっていく方の事を思うと・・)
神様のような、何でもお見通しで、最後には
この世では得られない帳尻をあわせて下さる存在。
↓ これは2006年頃のですね、内容的に…。
『いつ?』
私の悲しみは
いつになったら癒されるのだろう・・・?
それほど遠くない日と思えるけど
でも 今は 果てしも無く遠い日に感じるほど辛いよ・・・
早く終わりにしてほしい
もとの私に戻してほしい
自分ではどうしようもないよ・・・
どうしたらいい?
神様、助けて・・・・・・・・・・
いまごろ こんな苦しいことを与えられるなんて…
とっても残酷だよ…神様…
涙 涙 涙
↓ もしかしたら2007年頃かもしれない…。
試練は次々与えられるなあ・・・
乗り越えた(?)と思ったら すぐに次の波・・・
疲れ果ててしまうよなあ
「死にたい」って 時々思う
こんなことで と思うけれど どうしようもない
神様
私、いつか強くなれるの?
でも・・・・
弱音を吐きながらも ここまで歩いてこれたのも事実
そんなに弱いとはいえないのかな?私
ここから先のことを思うと
とっても不安なんだ
すべて心のままに祈ろう
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