風のいろは 何いろ?

緑を渡る時、空を吹き巡る時、風は何色なのだろう?
風には色はないけれど、私には………。

小さな礼拝を…

2004-07-12 | 日記(旧サイト~移行分:未分類)
  昨夜、本当は赦されない事かもしれないのですが、一人で聖餐式を。お風呂に入ろうとしていて、突然そういう思いを与えられたのです。まず、兄弟方がいつも聖餐に預かる前に読んでくださる福音書の箇所を探しました。順にマタイから音読。マタイにもマルコにもルカにも、ほとんど同じ記述があったことに驚きました。(ルカは、パンと葡萄液をいただく順が逆だったような?) さて四番目の福音書、ヨハネは? ヨハネ伝では、他の福音書のようには書いてありませんでした。省略されたのかもしれません。もう一度きちんと読んでみますが…。(読み込みが浅くてすみません。)
  感謝しつつ、パンと葡萄ジュースを頂きました。 愛が・・・<font color=red>イエス様のわたしたちに対する愛</font>が、私の内に満ち満ちてきました。 <font color=red>イエス様は、自分を愛するから相手を愛したのではない。自分を愛そうと愛すまいと、すべての人を、平等に愛されました</font>。そのことを、福音書の四つの箇所を読んでいて、深く深く感じました。私の愛も、そのようにありたいと願いました。とうてい及ばないけれど、そのように人を愛したいと。
  急に思い出した聖書の御言葉。十代~二十代にかけてのとってもとっても若い頃に、心に響いてきた御言葉。


    自分を愛してくれる者を愛したからとて
    どれほどの手柄になろうか。
    罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。
    自分によくしてくれる者によくしたとて
    どれほどの手柄になろうか。
    罪人でさえ、それくらいの事はしている。
    また返してもらうつもりで貸したからとて
    どれほどの手柄になろうか。
    罪人でも、同じだけのものを返してもらおうとして
    仲間に貸すのである。
    しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり
    また何も当てにしないで貸してやれ。
    そうすれば受ける報いは大きく、
    あなたがたはいと高き者の子となるであろう。
    いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも
    情け深いからである。


       <日本聖書協会 新約聖書 1954年改訳 より> 


  そして、思いは、いつも心配してくれ導いてくれる二人の姉妹の上に。今、祈り会に集えないでいる私のために、祈ってくださり、連絡を絶やさないでいてくださる、お二人の上に。。。。
  『イエス様。二人の姉妹を通し、
  私を愛してくださるあなたの愛に感謝します。。。』
から始まって、ずっとお風呂の中でも祈り続けました。<font color=green>涙が、後から後からあふれて来ました。聖書の御言葉の中に、そばに置いてくださった姉妹方の中に、イエス様の限りない大いなる愛を感じたから。それをやっと知ることができたから。</font>
  祈りの中で、どうしてあれほど喜んで集っていた祈り会に、集えなくなってしまったのかを、主に申し上げることができました。自分でもうまく掴めないでいた自分の気持ちを、主が祈りの中で教えてくださいました。 それを、どうやって姉妹方にお伝えしようか。正直に、でも誰にも誤解を与えないように、お伝えしたいのだが。 イエス様。どうかお力をお貸しください。どのようにお伝えすればよいのか。。。。。

  
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