風のいろは 何いろ?

緑を渡る時、空を吹き巡る時、風は何色なのだろう?
風には色はないけれど、私には………。

「布も好き」……の余談 いくつか (しつこいぞ!)

2024-10-01 | 想い出
 先日【紙も好きだけど布も好きで…どきどきしながらネットサーフィン】を書きましたが…。  

 またまた余談なのですが…私は株式会社フェリシモは千趣会グループか、千趣会が名前を変えた会社だとばかり思っていたのですが、今調べたら、全く別の会社でした💦 フェリシモはハイセンスという社名で発足したと…。そういえばハイセンスの商品を、自分か母が買った覚えがあります。
 一方、千趣会は、高校生の時、「ロマンツアー:音楽世界めぐり」というEPレコード+カラー冊子や、「COOK」という料理のサッシ+カード、「DELICA」という手芸系の冊子+カードの頒布会(りょうふかいかと思ったらはんぷかいでした)に入っていました。「ロマンツアー」の時期は、「COOK」「DELICA」の時期とずれていたかもしれません。各6ヶ月期間だったような? 今でも実は持っています💦

 82歳で亡くなった昭和6年生まれの母は、パッチワークは知らなくても、似たような物は作っていました。私が幼い時、近くにまたは知人に、紳士服のような本格的な高級(?)布を扱う方がいらして、そのサンプルパンフレットを母は戴いていました。そういうのがいくつもあって、サンプルの1枚は横2~3cm、縦6~7cmと小さいのですが、母は実にそれらをつなげて座布団カバーを何枚も作っていました!
 父は昭和2年生まれ、60歳で癌(脳腫瘍)を発症または発見され61歳で亡くなりました。終戦時 父はあと6日で満18歳、母は14歳と4ヶ月足らずでした。
 母は自分の昔の話、義父母から聞いた父の昔の話、など色々聞かせてくれました(でも<差別的な話>は一切聞いた事がありません。そこは感謝しています)。かたや父は職人兼商売をしていましたから、人とのコミュニケーションには大層気を使う人でしたけれど、自分の話はほとんどしていませんでした。そういう意味では無口?――とも言えないけど。
 私も自分の若い頃の話は 苦い想い出も含まれるので 子どもたちにはほとんどしていませんが、父もそうなのかもしれませんね。人生には 今でいう所の「黒歴史」があって できれば消しゴムでゴシゴシして「無かったこと」にしたい事がいくつかありますが……それもできないので できれば触れずに人生を終わらせたいと思っています……。今でも十分お馬鹿ですが、若い時は本当になんて愚かだったのかと…。父の苦しみは全く別だったかもしれませんが。
 お父さんごめんね、一緒にしちゃって💦

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