風のいろは 何いろ?

緑を渡る時、空を吹き巡る時、風は何色なのだろう?
風には色はないけれど、私には………。

豊かに祝福された、今日の礼拝

2003-06-01 | 日記(旧サイト~移行分:未分類)
 神様。ありがとうございました。今日はたくさんの兄姉が土浦礼拝に集われました。
 半年以上ぶりに、I 兄姉が集ってくださいました。よっちゃん兄の息子さんご夫婦が埼玉県・春日部集会に集ってらっしゃるので、ご存知かどうか聞こうとしたら、姉妹が春日部にも(礼拝)集ってないのと。やさしくて穏やかな微笑み・雰囲気の姉妹。兄弟の誠実で暖かい祈り。
 メサイア・コンサートに誘ってくださったN姉妹とも、最近すれ違い気味だったのですが、やっとお会いでき、引越し先のご住所と地図を書いていただくことができました。お訪ねしやすい場所でした。
 そうそう。お名前がわからないのですが(Aiママ姉妹にメールで確認しておこう)、ご年配の姉妹方お二人と少し若い兄弟お一人の三人連れがいらっしゃいました。(そういえば、先々週は、千葉県・印旛集会から、S姉妹と車椅子の娘さん姉妹がいらしてくださったっけ。)
 それから八百屋さんをなさっているN兄弟ともお久しぶりに。
 普段はなかなか一堂に会せない兄姉が、離れていてもしっかりそれぞれが主につながってらっしゃる事を知る事ができました。感謝します。

メッセージはなんと、【旧約聖書、 詩篇103:1~5】。これは、《聖歌・信仰の歌・ほか》でとりあげた、「信仰の歌 42番」の元になった聖書記述の箇所です。あまり聖書を開かない者なので、こうして賛美している歌の元のみことばを学ぶ事ができたのは、嬉しかったです。わくわくしてメッセージを聴いていました。メッセンジャーの兄弟は、高校の先生です。私はまるで生徒のように、真剣に兄弟の目を見ながら、一生懸命心に刻みました。(聖書のあちこちに傍線がありますが、自分的にここはどうしても、と思う箇所は、ページを大きく折ってあります。ここも折ってありました…)


     <font color=blue><i>【旧約聖書、 詩篇103:1~5】<font color=deeppink></i>
       わがたましいよ。主をほめたたえよ。
       私のうちにあるすべてのものよ。
       聖なる御名minaをほめたたえよ。
       わがたましいよ。主をほめたたえよ。
       主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
       主は、あなたのすべての咎を赦し、
       あなたのすべての病をいやし、
       あなたのいのちを穴から贖い、
       あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
       あなたの一生を良いもので満たされる。
       あなたの若さは、わしのように、新しくなる。<font color=black>
       

・兄弟はここを、ダビデが自分で自分を励ました場面と捕らえてらっしゃいました。力強く自分を励ました、と。 
・「告白」は本来は、「はっきりと言い表す」「(信仰を)あきらかにする」ことを意味する言葉であるそうです。
・「読む」とは、「小さい子供に親が本を読んで聞かせる」ともいうように、自分でもう一人の自分に聞かせているのではないか。これは、聖書の大事な読み方の一つだろう。「ひとりごと」は、自分に語りかけるとても自然な思考方法である。
・・・・・・・・・・・・・・・

今日学んだ御言葉をいつも胸に抱き、私も自分自身に叫んで生きたいと思いました。      

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