生と死 ではなく 死と生。
私にとってはそういう捕らえ方。
17歳から人生に対する虚しさを感じ続け
未だにその解決が得られず生きていた。
それがひょっこり 日曜日、職場に向かう車の中で
私達は死ぬために生まれてきたんじゃないかって気付いて。
死んでしまうから人生は虚しいと思ってきたのに
いつか死が訪れるから それまでの人生が貴重なんじゃないかって。
死があるから生が虚しいのではなく
死があるから生がある、というか。
そして初めて 命というものが
「与えられた」ものなんだなって 気付かされた。
こんなふうに感じ始めたら
なんだか周りの景色も そばにいる人たちのことも
今までと違って見えてきた。
この世界のすべてが 今までと違うものに見えてきた。
私にとってはそういう捕らえ方。
17歳から人生に対する虚しさを感じ続け
未だにその解決が得られず生きていた。
それがひょっこり 日曜日、職場に向かう車の中で
私達は死ぬために生まれてきたんじゃないかって気付いて。
死んでしまうから人生は虚しいと思ってきたのに
いつか死が訪れるから それまでの人生が貴重なんじゃないかって。
死があるから生が虚しいのではなく
死があるから生がある、というか。
そして初めて 命というものが
「与えられた」ものなんだなって 気付かされた。
こんなふうに感じ始めたら
なんだか周りの景色も そばにいる人たちのことも
今までと違って見えてきた。
この世界のすべてが 今までと違うものに見えてきた。
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