風のいろは 何いろ?

手を休めずに種をまきなさい。
どの種が芽を出すか、わからないからです。
(リビングバイブル:伝道者の書 11-6)

世と キリスト者と 神様との 距離

2006-01-11 | 日記(旧サイト~移行分:未分類)
荒れ野の食卓 (ウォッチマン・ニー)

1月11日



    しかし、私は主にあって喜び勇み、
    私の救いの神にあって喜ぼう。

             旧約聖書 ハバクク 3.18


 ガリラヤの少年がイエス様に自分のパンを持ってきたとき、イエス様はそのパンをどうなさったでしょうか。パンを裂きました。神はいつでも神に捧げられたものを裂かれます。主は手にされるものを裂き、あるいは砕き、それからそれを祝福なさると人々の必要を満たすためにお用いになります。

 あなたや私はこうしたことを経験してはいないでしょうか。自分自身を主に捧げると直ちにすべてがうまく行かなくなり、主のやり方に不平を言いたいような気になります。こうした態度をとり続ける頑なさはまさに砕かれなければなりませんが、その目的はなんでしょうか。<b><font color=blue>あなたをこの世が用いるには、あなたはあまりにも遠くに行ってしまいました。</font><font color=red>しかし神にとってはまだ十分な距離ではありません。</font></b>ここに多くのクリスチャンの悲劇があります。

私たちは主に用いられたいと願っているでしょうか。そうならば、主の方法に不平を言うのはやめて、賛美と期待をいだいて主の私たちへの取り扱いを受け入れて、毎日毎日、主に捧げ続けようではありませんか。





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