風のいろは 何いろ?

緑を渡る時、空を吹き巡る時、風は何色なのだろう?
風には色はないけれど、私には………。

お母さんの介護をしながら アナウンサー職を・・・

2012-06-05 | レビュー
MSN 産経ニュース 「母の車いすを押して」より

                   (文・木村良一さん)


・・・・・・・40歳だった母親が突然、くも膜下出血で倒れた。
脳梗塞も併発し、言語障害、右半身不随、知能低下という
重度の障害を負い、身体障害者1級となる。
当時、大学受験を目前に控える高校3年。
弟は中学3年、妹は小学6年。
車いすの母親を介護しながら
弟と妹の母親代わりになって料理、洗濯、掃除をこなした。
まだ介護保険制度はなかった。
大学へは1年浪人して進み奨学金で卒業。
日テレのアナウンサーになってからも介護は続き、
家族が住むマンションのローン返済にも追われる。

・・・・・・・・・・・・・・

母が入院していた4カ月間は毎朝6時に病院に向かうのが私の日課でした。
ある朝、大雪が降り積もっていた。
雪に足を取られながらひとりで歩いているうちに、
こらえ切れない寂しさと哀(かな)しさがこみ上げてきた。
母のこと、自分の将来のこと、いろいろと考えているうちに
どうしようもない孤独な気分に陥ってしまった。

・・・・・そのとき、私を呼ぶ妹の声がして振り返ると、
妹が傘もささずに私が忘れたヨーグルトを届けてくれた。
妹の温かい気持ちに触れ、寂しさは一気に吹き飛んだ。

・・・・・うちの家計は両親の共働きで支えられていた。
その一本の柱が崩れ、収入は減る。
父の給料から母の入院費、治療費、家族の生活費、
家賃を引くと残りはほとんどゼロ。
それどころかマイナスになる月もあった。
父は「おかしい。そんなことはない」と激怒した。
父との争いは避けたいので家計のやり繰りは自分ひとりで考えた。


【※ここで 私 ウルウル…。まだ18歳とか19歳とかですよ。。。】

・・・・・・弟や妹とお金のことで言い争いになることもあった。
経済的に余裕がなくなると、
精神的にも余裕がなくなることを嫌というほど思い知った。
精神的なダメージも計り知れなかった。
でも私たちの間には力を合わせていこうという暗黙の了解が生まれた。
それが家族の絆。倒れた母が私たちにくれました。



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<町亞聖> まち・あせい 
介護と医療を生涯のテーマにしている。・・・・40歳。・・・・・
母親の介護体験を綴(つづ)った著書『十八歳からの十年介護』が反響を呼んでいる。


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