風のいろは 何いろ?

手を休めずに種をまきなさい。
どの種が芽を出すか、わからないからです。
(リビングバイブル:伝道者の書 11-6)

弱気なものが 生きる術

2012-08-04 | レビュー
産経ニュース 2012.8.4【衝撃事件の核心】
いじめ社会 
寝屋川事件から見える、いじめられる者が「生きるすべ」 一部コピペ


「仲良しグループの遊びの延長」は、実は過酷ないじめだった。
・・・・・・・髪を燃やされたり鼻の骨を折られたほか、窃盗も強要されていたが、
仲良く行動する姿も頻繁に目撃されており、別の同級生らは
笑っていたし、いじめと思わなかった」と明かす。
専門家は「愛嬌(あいきょう)を振りまくのは、
集団で生きていくための努力だったのだろう
」と分析。
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…(いじめた側の父の談)
「…遊び仲間の1人だと思っていたし、いじめがあったとは全く思わなかった」

 周囲は、少なくとも最近の彼らについて「仲良しグループ」という見方が少なくなかった。
しかし結果的に、それは誤った認識だった可能性が強まっている。

 新潟青陵大大学院の碓井真史教授(社会心理学)は
気の弱い人が他人に強く言われて逆らえないという傾向は、
子供社会のほうが大人社会よりも強く表れる
」と指摘。
その上で、生徒の行動について
「加害者と距離を置くことができないくらい立場が弱かったのではないか。
笑顔を見せたり愛嬌を振りまいたりしていたのは、
集団の中で生きていくための必死の努力だったのだろう」とみる。
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赤い部分、特に過去の自分に重なる。とっても理解できる。
いじめとまでは行かないまでも 嫌な思いをさせられた事は多々。
特に そう!子供時代!
今の時代だったら いじめ対象になっていたかも。
ただ 私たちが子供の頃は 「弱い者いじめ」をする人は
そうそういなかった。
中学の男子で 血気盛んな人が人がいて 何かというと衝突する2人。
教室でよく殴り合いまで発展して^^;
でも 両方 互角だ。
クラスには 小柄な男子がいたが 彼をどうこうする人はいなかった。
もし 私がある人やある人たちに 嫌な思いをさせられても 私には
もっと多くの友がいて 随分救われていた。
そういう点が 今のいじめられっことの差。

「Noと言えない日本人」と言うけれど
日本人同士の中でも Noと言える人と言えない人が存在するのだ。
私は・・・若い時ほど 言えず 随分損したりした。辛い思いも。
段々そういう経験を踏んで 大人になって
勇気を出して(一人になる覚悟をもって) Noを徐々に言えるようになり
それが重なると 堂々と 自分の意見を言えるようになってきたし
気の合わない人と 無理して付き合うことは しなくなった。
(なんでか私は 誰とでも気軽につきあうところがあって…。
 特に50歳で病んでからは そういう点は180度変わった。
 なるべく嫌な時は 嫌というし。。。ぎりぎりまで言わないけどね^^;)

子どもにとって 生きにくい時代になってる気がする。
子どもたちが 安心して学校に行けるようになるといいね。
まあ私自身 別に学校が楽しいとは思えなかったけど
死ぬほどつらいとか・・・までには なってほしくないよね。

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2 コメント

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Unknown (xxyouxx)
2012-08-06 00:36:44
いじめっ子に迎合してしまうのは、自分が「いじめられっ子」だということを認めたくないから、というのもある気がします。
泣いてしまう(認めてしまう)と消せない烙印が押されたような気になるんじゃないかと。
想像ですけどね。
いじめられてるのが恥ずかしくて親に話せない子もいるんじゃないかなぁ?
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大人の世界でも (風のいろ)
2012-08-06 21:27:45
ありますよね。
恥ずかしい・・・ほんと そうなんですよね。
返信する

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