風のいろは 何いろ?

手を休めずに種をまきなさい。
どの種が芽を出すか、わからないからです。
(リビングバイブル:伝道者の書 11-6)

今朝のメッセージUPから・・・

2003-10-23 | 日記(旧サイト~移行分:未分類)
        【蘇畑兄 「救いの鍵」 より】

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イエス様は、おっしゃいました。悔い改めること、主に立ち返ること、です。そして、主の約束のみことばに素直に信頼すること、も、非常に大切なことです。

いたずらに自分の罪を後悔ばかりして、自分自身を責めてばかりいる人々もいますけれども、それは主のみこころではないのであります。重荷となっている自分の罪は、告白されるべきです。自分のたましいをですね、圧迫して自分の良心を本当に苦しめている問題があれば、主の御前に告白されるべきだし、それを明るみに出さなければなりません。しかし、神様の赦しの約束に信頼して、喜んで前進すべきなんです。それが主のみこころだからです。
「クリスチャンだから」と言って、良心的に生きるべきだと思い込んでですね、もう自分の罪に対して「自分を許せない」と言って、悩んでいる人々がいっぱいいます。悩みがあんまり激しくて、もう身動きとれない状態の人々もいますけれども、それは主のみこころではないんです。

さっきも言ったように、主のみこころが大事なんです。「神は、何とおっしゃっているか」「神は、何を望んでいるか」が大事なんです。神は、

「悔い改めて生きよ」

とおっしゃるからです。「自分のそむきの罪を隠す者は成功しない。それを告白して、それから離れる者は…ですね、それを捨てる者は、恵みを受ける」と書いています。主の御前に、私たちは出て、主に悔い改めて、後は光の中をですね、力強く歩むべきなんです。それが神の喜ばれることです。

 わたし、このわたしは、わたし自身のために
 あなたの…罪を贖ったーーー。

と聖書は言ってるんですね。神は、そのように私たちの罪を喜んで赦そうとなさっています。ですから神様の御前にですね、出て、私たちは自分の罪を、主の御前に悔い改めて、神の喜ばれるようにですね、光の中を喜んで歩むべきです。それが、主のみこころなんですね。

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↓のような思いを抱く私にはぴったし?
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