風のいろは 何いろ?

緑を渡る時、空を吹き巡る時、風は何色なのだろう?
風には色はないけれど、私には………。

荒れ野の食卓 (ウォッチマン・ニー) 鈴木兄訳

2005-12-14 | 日記(旧サイト~移行分:未分類)
12月14日

     ある人々のように、いっしょに集まることを
     やめたりしないで、かえって励まし合い、
     かの日が近づいているのを見て、
     ますますそうしようではありませんか。

                           ヘブル 10.25



キリストは教会の頭であり、「大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです」。
ですからキリスト者のつながりは、いかなる場合も一つの器官からほかの器官に対するものであり、頭から器官に対するものではありません。
使徒がすばらしい説教をしているとき、信者は全員その通りとばかりにうなずきながら、しばしば熱烈な「アーメン」を加えるのです。
なんと霊的に深い集会と思われることでしょうか。
しかし彼らの真の霊的な状態が光に照らされるのは彼らが自分たちで集まるときです。
「説教壇と信者の席」の原則は、罪人に喜ばしい知らせを宣言するにはどうしても必要ですが、キリスト者の生活に受動性を育ててしまう危険性があります。
教会のいきいきとした成長は、「円卓会議」という相互関係の原則と、信者同士のお互いの励まし合いによるのです。
私たちの交わりには「互いに」という刻印が押されているでしょうか。

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