会社に行くのが憂鬱な朝は

様々な仕事を経験して得てきたことや日々のことなど。

言葉とアイデンティティー

2020-08-15 09:15:00 | コミュニケーション

仕事、プライベートに関わらず

初めて私と出会う人の3割くらいの人から

「関西の方ですか?」と尋ねられます。

それはイントネーションが関西のものであるから。


東京に来て丸7年がたちます。

しかしいまだに私は関西弁を貫いていて(笑)

主催するイベントがあるとか

動画を撮る以外はずっと大阪弁で喋ります。


上京したとき

関東のイントネーションにしたほうがいいのか

ちょっとだけ悩んだことがありました。

大阪弁は嫌がられるのではないか

そう思ったのです。

しかし、すぐに思い直し

東京に住んでも大阪弁のままでいようと決めたのでした。

実際、某大手宝飾メーカーの派遣販売員として

百貨店で働いていたときは

意外なほどにお客様方からのうけがよくホッとしたものです。


ですが、東京に来たら

大阪弁でいられなくなった

という人が知り合いの中に何人かいます。


ある人は、ご主人の転勤に伴って

誰一人知り合いのない東京に来たのですが

きっと怖かったんだと思います。

「こちらの言葉を喋らないといけないと思ったの」

その人は言っていました。

また、ある人は大阪弁で仕事をしていて

発注元の某大手広告会社の社員から

辞めさせろと言われて「矯正」せざるを得なかったとか(涙)。


上京して7年経つ、と言うと

「でも大阪弁なんだね」

と何人かの人に言われることがあるります。

大阪弁でいる

ということは私にとってのアイデンティティですから。

そしてこれも私がよく言うことですが

「標準語だと英語を話しているような感覚になる」のです。


大阪弁でないことで自分が自分でいられなくなる感覚。

自分の思考を言葉にする前に

もう一段階考えなければならないような、

たとえると

誰一人知り合いのいない近所のスーパーに

買い物に行くのに

バッチリ化粧して、着飾っていかなければならないような。

そんな感じ。



自分を必要以上によく見せたいと思っていた昔なら

迷うことなく上京した途端、

ごく自然に標準語に切り替えられていただろうと思います。



大阪弁とか標準語とか

英語とか日本語とか

どの言葉で話すかは

少し大げさな言い方をすると

自分がどうありたいか、

と言うことと同じなのではないだろうかと思うのです。


だからといって

大阪出身なのに大阪弁を喋らないことは

決して悪いことだとは思いません。

先に挙げた方のように

誰かの理不尽さのために傷ついたり

生活の基盤を失う可能性だってあるからです。


自分のホームグラウンドから出たとき

自分がどのスタンスで生きていくか

決めて生きる事が大切なことだと思っています。


ただ、地方から出てきて標準語で合わせるというのと

東京から地方へ、或いは地方から地方へ行ってその土地の言葉に合わせる

というのは若干、意味合いが異なることもあるかも知れませんね。



話は変わりますが

東京でたくさんの友人を得て

気づいたことがあります。


関西出身の友達が普段は標準語イントネーションなのに

私と話すときは関西弁に戻る人がいること


生まれも育ちも関東だけど

ときに私の関西弁を真似て喋ってくれる人がいること



これがとても嬉しい。

口に出して言ったことはないが

自分のアイデンティティを

受け入れられている、と感じるのです。




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