会社に行くのが憂鬱な朝は

様々な仕事を経験して得てきたことや日々のことなど。

きちんと「怒る」ことは自分を大事にする?

2020-08-16 19:00:00 | コミュニケーション

動物の中で笑うのは人間だけ

という話を聞いたことがあります。

犬や猫でも笑うよ、という人もいるので

真偽の程はわかりませんが、


怒る、怒り

というのは多くの動物に見られる感情です。


そもそも何のために怒るのかというと、

自分を守るためなんです。

命を守るために人間以外にも

多くの動物の本能の中に組み込まれたものなんですね。


犬や猫、そのほかの獣でも

外敵から攻撃を受けたとき

牙をむき背中の毛を立てて必死になって怒りますが

これは自分の命を守るためです。


なのに怒りの感情が湧いたとき

この気持ちをわかってもらえるだろうか

怒ることはいけない事だ

怒ったら周りになんと思われるか

そんな事を考えるのは人間だけ。



自分を大事にすることの一つに

真っ当に「怒る」ということがあります。


自己肯定感が低い人ほど「怒ってはいけない」と思って怒りを抑え込みがちです。


人から侮辱されたり、軽んじられた時にきちんと怒りを受け止めて怒ることは

自分の尊厳を守ることであり、自分を大事にすることです。

自分を大事にする前に人目を気にしていたら

周囲もあなたを大事にしない。

ちゃんと怒ることができないと、

人はその人を軽んじるのです。

何をしてもいいと思われてしまう可能性もあります。


ところが、ちゃんと怒ることができない人は、

自分が怒ることによって人から何と思われるか、

とか

自分の怒っている理由が分かってもらえるだろうか

いうことを気にしてしまうんですね。


それはすなわち

自分の怒りの感情よりも

自分がどう見られるかを大事にしているということです。


他人の目を気にしながら怒りを表現する人は、

周りから、あなたが本気で怒ってるとは思われないため

同じ被害を何度も繰り返し受けるハメになります。


例えば誰かに何かをされて腹が立ったとき、

自分の尊厳のために本気で怒る人に対しては

その勢いに圧倒されて

傷つけた人は一瞬ひるむものです。

相手がサイコパスでない限り

本当に怒っているということがわかるので

次回からあなたを軽んじないようになる場合が多いです。


怒りを露わに表現することは悪いこととは限りません。

ときに理不尽なことから自分を守ることにとても有効です。

怒ることができない人は

だれかの目を気にすることよりも

勇気を持って、自分のために怒ってあげるということに

思いを巡らせてみませんか。


怒りだって大切なあなたの一部なんですから。


言葉とアイデンティティー

2020-08-15 09:15:00 | コミュニケーション

仕事、プライベートに関わらず

初めて私と出会う人の3割くらいの人から

「関西の方ですか?」と尋ねられます。

それはイントネーションが関西のものであるから。


東京に来て丸7年がたちます。

しかしいまだに私は関西弁を貫いていて(笑)

主催するイベントがあるとか

動画を撮る以外はずっと大阪弁で喋ります。


上京したとき

関東のイントネーションにしたほうがいいのか

ちょっとだけ悩んだことがありました。

大阪弁は嫌がられるのではないか

そう思ったのです。

しかし、すぐに思い直し

東京に住んでも大阪弁のままでいようと決めたのでした。

実際、某大手宝飾メーカーの派遣販売員として

百貨店で働いていたときは

意外なほどにお客様方からのうけがよくホッとしたものです。


ですが、東京に来たら

大阪弁でいられなくなった

という人が知り合いの中に何人かいます。


ある人は、ご主人の転勤に伴って

誰一人知り合いのない東京に来たのですが

きっと怖かったんだと思います。

「こちらの言葉を喋らないといけないと思ったの」

その人は言っていました。

また、ある人は大阪弁で仕事をしていて

発注元の某大手広告会社の社員から

辞めさせろと言われて「矯正」せざるを得なかったとか(涙)。


上京して7年経つ、と言うと

「でも大阪弁なんだね」

と何人かの人に言われることがあるります。

大阪弁でいる

ということは私にとってのアイデンティティですから。

そしてこれも私がよく言うことですが

「標準語だと英語を話しているような感覚になる」のです。


大阪弁でないことで自分が自分でいられなくなる感覚。

自分の思考を言葉にする前に

もう一段階考えなければならないような、

たとえると

誰一人知り合いのいない近所のスーパーに

買い物に行くのに

バッチリ化粧して、着飾っていかなければならないような。

そんな感じ。



自分を必要以上によく見せたいと思っていた昔なら

迷うことなく上京した途端、

ごく自然に標準語に切り替えられていただろうと思います。



大阪弁とか標準語とか

英語とか日本語とか

どの言葉で話すかは

少し大げさな言い方をすると

自分がどうありたいか、

と言うことと同じなのではないだろうかと思うのです。


だからといって

大阪出身なのに大阪弁を喋らないことは

決して悪いことだとは思いません。

先に挙げた方のように

誰かの理不尽さのために傷ついたり

生活の基盤を失う可能性だってあるからです。


自分のホームグラウンドから出たとき

自分がどのスタンスで生きていくか

決めて生きる事が大切なことだと思っています。


ただ、地方から出てきて標準語で合わせるというのと

東京から地方へ、或いは地方から地方へ行ってその土地の言葉に合わせる

というのは若干、意味合いが異なることもあるかも知れませんね。



話は変わりますが

東京でたくさんの友人を得て

気づいたことがあります。


関西出身の友達が普段は標準語イントネーションなのに

私と話すときは関西弁に戻る人がいること


生まれも育ちも関東だけど

ときに私の関西弁を真似て喋ってくれる人がいること



これがとても嬉しい。

口に出して言ったことはないが

自分のアイデンティティを

受け入れられている、と感じるのです。



自分を知れば他人は怖くない

2020-08-02 19:00:00 | コミュニケーション

カウンセラーをしていると言うと、

たまに

「カウンセラーって

人の心がわかるんでしょ?なんだか怖い」

と言われることがあります。


同業の先輩たちに話すと

「そういう人、結構いるよ」とのことで、

すごく驚いた経験があるのですが


人の心はそれほど単純ではありません。


カウンセラーだって臨床心理士だって精神科医だって

人の心はわかりません。

逆に「人のことがわかる」というカウンセラーは

かなりアブナイです。

そういう人のカウンセリングは

お金をいただいても受けない方がいい(笑)。



「人の心を読む方法」

「他人をコントロールする方法」

などという本が人気なのは

他人の心が分からなくて不安だったり

他人をなんとか自分の思うようにしたい

という気持ちが強いからなんでしょうね。


実は私も20年くらい前は

こういった本を読んだことがあります。

なるほど、とは思ったけど

結局は何も変わらず、ストレスも減らなかった。


ひと口に「他人」「人」と言っても

自分の周りの人だけで少なくとも数十人、

一体この世に何億の人がいるのか。


他人がわからないから

人と付き合うのが怖いとか不安な人は

本当は、自分とうまく付き合えていないのかも知れませんね。


・嫌なことを言われるのではないか?

・暴力を振るわれるのではないか?

・人見知りがはげしい

・ひどくはにかみや。

・人前で緊張感が強い

などなど、


カウンセリングでは

人と付き合うのが怖い、不安と思っている人に

なぜそう思っているのか?

具体的にどんなことを怖いとか不安に思っているのか

をお聞きしていきます。


頭の中で普段思ったり考えたりしていることって

もう十分わかっていると自分では思うんですが

言葉にしてみて初めて

「そうだったのか!」

ということが結構あります。


自分でやるんだったら

紙に書き出す方法もありますけど

そうやって、知っているようで知らなかった自分を

どんどん知っていくことで


今まで怖いと思っていたことや

不安だったことの正体がわかって

人との付き合い方が大きく変わることもあります。

そうすると人の心を読む方法なんて

必要なくなってしまうんですね。


自分の心を知って自分との付き合い方を変えるだけで

周りのいろんなことが変わっていくんです。