
父の7回忌のために実家に帰り、久しぶりに両親を感じてきました。
WHO(世界保健機構)の健康の定義を下記の内容で学びましたが
肉体的(ボディ)健康・・・健全な体
精神的(マインド)健康・・・健全な心
社会的(ソーシャル)健康・・・健全な人間関係
宗教的(スピリチャル)健康・・・健全な自己存在
25年前に沖縄に移り住んだ事を、今考えると
宗教的健康を得るためだったように思います。
宗教的健康は、私の存在に対することなので
両親に対する潜在意識が大きく関与します。
私の場合、別に両親を憎んでいたわけではないのですが、
親子共に、自分の主張が強かったということもあり
私が望むことは、両親が望まないことだったという
お互いの望みは平行線だったので、親孝行をどうすればいいのか?
わからない状態でした。
私は両親との関係においてどんな事を得たかったのか?はその頃不明確でしたが
無条件で心深く感謝の意を持ちたかった・・・のだぁ~
と、今振り返ると感じます。
「両親への心深い感謝=自己存在を心深く幸せに感じる」というつながりが、
両親に心深く感謝したとき、初めて得たことでした。
宗教的健康を得ていくにつれ
社会的健康度も高くなり、精神的健康、肉体的健康も共に高くなっていったように感じます。
宗教的健康が、まさかこういうこと(深い感謝)だったとは思ってもいませんでした。
相手のエゴが見えているときは、心深く感謝できません。
相手にこうして欲しいという自分のエゴが優位になるからです。
しかし、それを全て手放すと、段々自分がとても多くのことをもらっていることに気付き
感謝しかないことを知っていきました。
丁度、6年前の今日あたりは、父の意識が薬でもうろうとしている頃です。
苦しくて寝付けないし、うわ言を言うようになり
看病していた私の主人ヨッシーの顔も区別がつかなくなり
「先生(ヨッシーを病院の先生と見ている様子)、20000円貸してください。
どうしても今日中に霧島の病院に帰らないといけないのです」
と、しきりに言っていたことをよく思い出します。
霧島の病院???母に聞いてもつながる話はなく意味不明なのですが
父と母の新婚旅行が霧島の清流荘という旅館だったということもあったので
お寺で7回忌のお経をあげていただいた後、
母を連れて、霧島の清流荘にランチ温泉で行くことにしました。
母にとっては52年ぶりの場所だったらしく
さすがに旅館は改装されていたので、建物の面影はないようでしたが
自然の風景にとても懐かしそうにしていました。
両親が、どうやって出会い、結婚し、何を感じながら共に生活してきたのか?
を聞くと、その事は私の細胞の一部のような気がします。
よくケンカをしている両親でしたが
深く愛し合っていたんだなぁ~と話を聞きながら夫婦の重みを感じました。
そして、今日は父が所有していた山に行って、竹の子を掘ってきました。
父は、竹の子堀りの名人でした。
私たちは、クワとカマの使い方もままならず、竹の子と格闘していました。
若い頃は、やりたいことをやるという不規則で自由人父でしたが
晩年の生活スタイルは、就寝、日中の行動全てにおいて規則正しく、
自分のペースを崩さなかった父でした。
規則正しい行いを毎日やっていく目標を今持っている私としては
父の遺伝子が半分あると思うと、努力と共に達成していけそうなイメージが湧きました。
竹林の中で、ポカポカした風と共に父の香りが漂ってきた瞬間があり
それがとても懐かしく嬉しかったです。


WHO(世界保健機構)の健康の定義を下記の内容で学びましたが
肉体的(ボディ)健康・・・健全な体
精神的(マインド)健康・・・健全な心
社会的(ソーシャル)健康・・・健全な人間関係
宗教的(スピリチャル)健康・・・健全な自己存在
25年前に沖縄に移り住んだ事を、今考えると
宗教的健康を得るためだったように思います。
宗教的健康は、私の存在に対することなので
両親に対する潜在意識が大きく関与します。
私の場合、別に両親を憎んでいたわけではないのですが、
親子共に、自分の主張が強かったということもあり
私が望むことは、両親が望まないことだったという
お互いの望みは平行線だったので、親孝行をどうすればいいのか?
わからない状態でした。
私は両親との関係においてどんな事を得たかったのか?はその頃不明確でしたが
無条件で心深く感謝の意を持ちたかった・・・のだぁ~
と、今振り返ると感じます。
「両親への心深い感謝=自己存在を心深く幸せに感じる」というつながりが、
両親に心深く感謝したとき、初めて得たことでした。
宗教的健康を得ていくにつれ
社会的健康度も高くなり、精神的健康、肉体的健康も共に高くなっていったように感じます。
宗教的健康が、まさかこういうこと(深い感謝)だったとは思ってもいませんでした。
相手のエゴが見えているときは、心深く感謝できません。
相手にこうして欲しいという自分のエゴが優位になるからです。
しかし、それを全て手放すと、段々自分がとても多くのことをもらっていることに気付き
感謝しかないことを知っていきました。
丁度、6年前の今日あたりは、父の意識が薬でもうろうとしている頃です。
苦しくて寝付けないし、うわ言を言うようになり
看病していた私の主人ヨッシーの顔も区別がつかなくなり
「先生(ヨッシーを病院の先生と見ている様子)、20000円貸してください。
どうしても今日中に霧島の病院に帰らないといけないのです」
と、しきりに言っていたことをよく思い出します。
霧島の病院???母に聞いてもつながる話はなく意味不明なのですが
父と母の新婚旅行が霧島の清流荘という旅館だったということもあったので
お寺で7回忌のお経をあげていただいた後、
母を連れて、霧島の清流荘にランチ温泉で行くことにしました。
母にとっては52年ぶりの場所だったらしく
さすがに旅館は改装されていたので、建物の面影はないようでしたが
自然の風景にとても懐かしそうにしていました。
両親が、どうやって出会い、結婚し、何を感じながら共に生活してきたのか?
を聞くと、その事は私の細胞の一部のような気がします。
よくケンカをしている両親でしたが
深く愛し合っていたんだなぁ~と話を聞きながら夫婦の重みを感じました。
そして、今日は父が所有していた山に行って、竹の子を掘ってきました。
父は、竹の子堀りの名人でした。
私たちは、クワとカマの使い方もままならず、竹の子と格闘していました。
若い頃は、やりたいことをやるという不規則で自由人父でしたが
晩年の生活スタイルは、就寝、日中の行動全てにおいて規則正しく、
自分のペースを崩さなかった父でした。
規則正しい行いを毎日やっていく目標を今持っている私としては
父の遺伝子が半分あると思うと、努力と共に達成していけそうなイメージが湧きました。
竹林の中で、ポカポカした風と共に父の香りが漂ってきた瞬間があり
それがとても懐かしく嬉しかったです。


詳しくはランチでもしながらユンタクの中で。。(笑)
心の底からの感謝は、もの凄いパワーなのですね~
「経済的な健康」は、心の自由さのためにも大切ですよね~