今朝はいちだんと冷え込む朝
吐く息が白く 朝日に照らされて空気も白いもやのように
冷え冷え~
アウター買ってて
良かったです。
モコモコ、アオムシさんのように
歩く姿が かわいいのですよ!
ちなみにアッシュのは水色です。
日曜日
多賀城まで『みちのく鬼たち』に会いに
KちゃんSちゃんと出かけました
JR多賀城駅前にも仮設住宅があるのですね。
知らなかった!
これからますます
寒くなると
仮設は辛いだろうなぁ。。。
進まない復興を目の当たりにすると
はっ!とします
そのお隣 博物館。
こっちはものすごくりっぱな建物なんだよね。
違和感を覚えないのか?
中は暖房もしっかりされて
暖かいし。
矛盾
鬼たちの展示は
はぁ~
へぇ~
ほぉ~
という感じでした
村田の鬼のガイコツは?
なんだろう
ほんもの??
つくりものにしては
やりすぎ感がある
かわいい鬼~怖い鬼まで。。。
東北に根ざした*鬼文化*に触れました。
最終日に間に合って
ここに来れたのは
やっぱり 鬼に呼ばれたのかしら?
常設展示もすごかった。
昭和なパン屋さんがなんとも懐かしく
リアルだったなぁ。
マサムネ時代の芭蕉の辻の街並の模型も凝り過ぎ
帰り足
青麻神社に寄りました
すごい久しぶりに来た
あいかわらず
わき水をくむ人々がいっぱい来ているのには
ちょっとびっくりでした。
山の神さまにもお参り
もみじがきれい。
本殿の裏山に
なにかの気配
がさごそと
確かに
足音?
なにか居る???
山の民かな?
たのしいじかんを過ごさせてもらいました。
ありがとう~
気になるタブレット。
~~~~つながるメッセージ~~~~~
『根本に戻れ』との根本とは、縄文時代のように自然と共存し、共生していく社会だという考え方です。
この大切さを『いま蘇る幣立神宮』という題で、述べています。
≪さらに横道にそれますが・・・≫
縄文時代に稲作は大陸から入ってきましたが、定着しませんでした。
なぜでしょうか?
縄文後期、畑稲作が始まった後も平行して今までの食料体系は残っており、稲作が始まった後、他文明で見られる、階層社会の成立や戦争の開始といった社会のシステムや枠組みを大幅に変換させるような形跡は見られなかったのです。
以前から、なぜなんだろうと考えていました。
温暖な気候により、自然が豊かで稲作を受け入れる必要がなかったのかも知れません。
しかし、私は、『自分たちが食べる分だけでよい』という考え方が残存し、自然を大きく破壊しない、自然のサイクルを変動させてはいけないというタブーが存在したのではないかと創造するのです。
『自然との共生』が当たり前の価値観として、縄文人のDNAに残っていたからです。
これが、「霊性の扉」が開いていたからだと考えます。
稲作を拒否したのではなく、稲作による社会の変質を拒否したのです。
縄文人は何より増して自然の恵みを享受していました。
その中で自然崇拝というアニミズムも強く定着していました。
したがって、私は自然に手を加える事を回避したのではないかと思うのです。
つまり、水田稲作をする為の技術がなかったのではなく、それを行う事による自然破壊を畏れたのです。
現在のような生易しい環境保全ではなく、土(自然)に手を加えればカミに逆らうといった強い畏怖によるものだったのではないでしょうか。
その後、大陸から移住してきた弥生人(南方系、中国系)によって、この価値観が破壊されてしまいました。
彼らには、我欲という意識がありました。
縄文人ほど、「霊性の扉」が開いてなかったのです。
矛という武器によって、破壊を始めるのです。
いま蘇る幣立神宮のサイトより
きのうのトンネルの崩落事故も
インフラの老朽化
もう各地の高速道路や橋など
あらゆる場所で いつ起きても!
という状態ならしいし。。。
なにもかもが
経済中心の考えだったこの暮らしに
破綻が起きるのは
もう止められない事実かと。
根本にもどれ
ということを
頭ではなくて
心でみんなが感じ始めているはず。。。。
鬼のように生きるも
死んで鬼になるも
自分の勝手なのかもしれないけど。。。
吐く息が白く 朝日に照らされて空気も白いもやのように
冷え冷え~
アウター買ってて
良かったです。
モコモコ、アオムシさんのように
歩く姿が かわいいのですよ!
ちなみにアッシュのは水色です。
日曜日
多賀城まで『みちのく鬼たち』に会いに
KちゃんSちゃんと出かけました
JR多賀城駅前にも仮設住宅があるのですね。
知らなかった!
これからますます
寒くなると
仮設は辛いだろうなぁ。。。
進まない復興を目の当たりにすると
はっ!とします
そのお隣 博物館。
こっちはものすごくりっぱな建物なんだよね。
違和感を覚えないのか?
中は暖房もしっかりされて
暖かいし。
矛盾
鬼たちの展示は
はぁ~
へぇ~
ほぉ~
という感じでした
村田の鬼のガイコツは?
なんだろう
ほんもの??
つくりものにしては
やりすぎ感がある
かわいい鬼~怖い鬼まで。。。
東北に根ざした*鬼文化*に触れました。
最終日に間に合って
ここに来れたのは
やっぱり 鬼に呼ばれたのかしら?
常設展示もすごかった。
昭和なパン屋さんがなんとも懐かしく
リアルだったなぁ。
マサムネ時代の芭蕉の辻の街並の模型も凝り過ぎ
帰り足
青麻神社に寄りました
すごい久しぶりに来た
あいかわらず
わき水をくむ人々がいっぱい来ているのには
ちょっとびっくりでした。
山の神さまにもお参り
もみじがきれい。
本殿の裏山に
なにかの気配
がさごそと
確かに
足音?
なにか居る???
山の民かな?
たのしいじかんを過ごさせてもらいました。
ありがとう~
気になるタブレット。
~~~~つながるメッセージ~~~~~
『根本に戻れ』との根本とは、縄文時代のように自然と共存し、共生していく社会だという考え方です。
この大切さを『いま蘇る幣立神宮』という題で、述べています。
≪さらに横道にそれますが・・・≫
縄文時代に稲作は大陸から入ってきましたが、定着しませんでした。
なぜでしょうか?
縄文後期、畑稲作が始まった後も平行して今までの食料体系は残っており、稲作が始まった後、他文明で見られる、階層社会の成立や戦争の開始といった社会のシステムや枠組みを大幅に変換させるような形跡は見られなかったのです。
以前から、なぜなんだろうと考えていました。
温暖な気候により、自然が豊かで稲作を受け入れる必要がなかったのかも知れません。
しかし、私は、『自分たちが食べる分だけでよい』という考え方が残存し、自然を大きく破壊しない、自然のサイクルを変動させてはいけないというタブーが存在したのではないかと創造するのです。
『自然との共生』が当たり前の価値観として、縄文人のDNAに残っていたからです。
これが、「霊性の扉」が開いていたからだと考えます。
稲作を拒否したのではなく、稲作による社会の変質を拒否したのです。
縄文人は何より増して自然の恵みを享受していました。
その中で自然崇拝というアニミズムも強く定着していました。
したがって、私は自然に手を加える事を回避したのではないかと思うのです。
つまり、水田稲作をする為の技術がなかったのではなく、それを行う事による自然破壊を畏れたのです。
現在のような生易しい環境保全ではなく、土(自然)に手を加えればカミに逆らうといった強い畏怖によるものだったのではないでしょうか。
その後、大陸から移住してきた弥生人(南方系、中国系)によって、この価値観が破壊されてしまいました。
彼らには、我欲という意識がありました。
縄文人ほど、「霊性の扉」が開いてなかったのです。
矛という武器によって、破壊を始めるのです。
いま蘇る幣立神宮のサイトより
きのうのトンネルの崩落事故も
インフラの老朽化
もう各地の高速道路や橋など
あらゆる場所で いつ起きても!
という状態ならしいし。。。
なにもかもが
経済中心の考えだったこの暮らしに
破綻が起きるのは
もう止められない事実かと。
根本にもどれ
ということを
頭ではなくて
心でみんなが感じ始めているはず。。。。
鬼のように生きるも
死んで鬼になるも
自分の勝手なのかもしれないけど。。。