私には兄が一人います。4つ違いで、仲はよくありません。小さな頃は仲のよさそうな写真が残っていますが、かわいがられた記憶はありません。私からすると、横暴な兄でした。
おまけに自分以外のためにお金を使うのを無駄と考える人で、子供の頃、父の日や母の日などを一緒にしようとすると、「お前がするから、俺もせないかん」と怒られたりしました。
学生の頃、世の中には優しいお兄ちゃんがいると知ってびっくりしました。二十歳の頃でした。私の記憶では、「こき使われる」「お手伝いはしない(母がさせない)」「チャンネル権は常に兄のもの」といった感じで、兄というのは多かれ少なかれそういうものだと思っていましたので、サークルの先輩が「今日帰って妹とゲームする」と嬉しそうに言うのを聞いて衝撃を受けたのをよく覚えています。
そんな風に、さすがに20歳を過ぎると、兄という人間が一般的に優しくないのだということがわかってきました。
今となっては自分にも責任の一端はあったと思います。いやいやでも従う私の性格が、兄や母をのさばらせたのです。また私の方もちゃっかりと兄が買う漫画を見せてもらったりもしていたので、兄からすれば駄賃を渡していたつもりだったかもしれません。
反発も感じつつ、兄の横暴と母の過干渉を「そういうものだ」と思っていました。私は他人と合わせるのが苦手で、家庭内で過ごすことが多く、私の方も受け入れてしまっていたように思います。変な言い方ですが、ある意味相性が良かったんですね。これが「共依存」なのかもしれません。
27歳で親の反対を押し切って、やりたい仕事に方向転換した時にようやく精神的に自立出来ました。本当に気が楽になって、人の目を気にすることなく自分の人生を歩き始めたのを実感しました。雨が降ろうが寒かろうが、楽しいと感じる毎日でした。
その決断が今に通じていると思います。ギリギリセーフでした。今振り返ってもあれが大きな人生のターニングポイントだったと思います。
こんな私がたった一つ、兄に感謝していることがあります。それは兄のおかげで、私に対して横暴な人間に敏感なこと。
私はおとなしく見えるのか、男女にかかわらず、変な人に目を付けられることがあります。すると「ああ、私を子分にしたいんだろうなあ」と、ピンとくるのです。
心の内側まで入ってこられると、はっきりと断れないところがあるのは自覚しているので、徹底的にスルーします。家でも兄や母に振り回されているのに、外でまでそんな目にあってたまるかと。
以前、こんなお話を本で読みました。
心理学的には女王様と奴隷とは、一見女王様が強そうに見えるけれど、実は奴隷が許可を与えているのだと。ということは、奴隷が許可を出さなければ女王様は手を出せないのです!
目からうろこでした!!!私は自分が奴隷気質なのはわかっています。奴隷というか、羊です。そこでじっとして、どこかへ行くという発想はありません。門が開いていても出ていかないタイプ。なんの不満もなく、そこで食べ、そこで過ごし、そこで寝る。
これは朗報でした。だからこそ、主を慎重に選ばなければならないのです。自分が羊であることを自覚し、そんな私ができるだけ心地よい所で暮らせるように意識すること。その意識で付き合う相手を選びさえすれば、大丈夫!
そうして周りを観察すると、意外と大丈夫そうな人がやられ放題な事に気づきます。おそらく今まで人に害されたことが無い人が、無防備なのだろうと思います。どう対処していいかわからず、気づけばグイグイとねじ込まれている様に見えるのです。
おそらく威張りたい相手も人を選んでいます。「この人だったら言い返さないだろう」「この人だったら言いなりになるだろう」と、相手を値踏みしているのです。反撃されないとふんで、しつこくからかったり、自分の行きたい所に連れまわしたりするのです。
福子さんもこうおっしゃいます。「ナメられたら、いかんよ。私だったら言い返すと思うよ。そんな相手には嫌われてもいいさ。」本当にその通りだと思います。
言えるなら、言うのがいいと思います。そうしたジャブをかましておくと、相手も用心するというもの。いつも威張る側の人は、案外打たれ弱かったりもするのです。
でも職場やクラスのグループなどでは角を立てるのは難しいかもしれませんね。程度にもよりますが、選べるものなら集団自体を選び直す必要があるかもしれません。家族であるなら精神的に、可能なら物理的にも距離をとることが必要になります。
そこまでしなくても・・と思っていませんか?そう思うあなただから、付け込まれているということを自覚してくださいね。私もそうだったからわかります。「自分が言うことを聞いていれば、丸く収まる。」初めはたったそんなことなのです。
私もそういう感じでした。そうなると相手はどんどんかぶせてくるのです。「でもいいか、家族だから、妹だから」と続けていると、自分のことがどんどん後回しになって、自分がどうしたいかがわからなくなりました。
これは、私が兄や母のせいで自分の時間を無駄にしたと訴えているのではありません。なんで自分はいろいろ断らなかったんだろうかという反省です。これは私の罪なのです。
だから今は、生かされていることに感謝しながら、自分の人生を最優先にする!という気持ちでいます。できるかぎり、後悔の残らない時間やエネルギーの使い方をしようと思っています。
「通り魔や泥棒を家に入れますか?」と問われたら、そんなバカな事するわけない、と思いますよね。でもその人たちは目には見えないけど、あなたの心を傷つけ、愛や時間を奪っています。
そしてそんな人たちと付き合うということは、自分が通り魔や泥棒を家に招き入れているのと同じです。それは自分の罪です。ひどい目にあっても仕方がないかもしれません。
たまには優しいかもしれない。過去には助けられたこともあったかもしれない。でも、今苦しい思いをしているなら、もうその人たちを招き入れてはいけない。
それはまるで魔王を鎮めるために、自分の人生を生贄に差し出しているようなものです。その人といる数時間だけの話ではありません。その人と会う前はもやもやし、会った時はチクチクと刺され、会った後は後で腹が立ち・・・会ってない時間さえもその人に翻弄されているのです。それが毎回となれば、もう人生が食いつぶされていきます。
私は以前は誘われるとなかなか断れませんでした。でもその日が来るのが憂鬱で、体調が崩れドタキャンし、その後は罪悪感にさいなまれ・・・そこである日、勇気を出して断ってみました。
するとその時にはちょっとざわっとするものの、そこで終わるので本当に楽でした。それに相手も次の人を誘えるので、お互いにいいのかもしれないと思いました。それを繰り返すうちに、誘われたくない人からは誘われなくなります。本当に楽になりますので、よかったらお試しください!
その結果、孤独になるかもしれません。私も人付き合いが苦手で、人に合わせるくらいなら一人の方がいいと思って過ごしてきましたが、正直少し寂しかった。でも遠くても本音で付き合える友達が出来た時、寂しくなくなり、本当にこれでいいと思えるようになりました。
今の時代、カケホーダイやYouTubeもありますし。寂しさを紛らわすために身近な職場や近所の人と、無理して付き合う必要はないと思います。なぜなら自分を偽ると、本当の自分を受け入れてくれる相手に出会えないからです。
自分らしく過ごして、その自分を受け入れてくれる方たちと出会うことこそが、真の喜びとはいえないでしょうか?たった一人であったとしても、本音で付き合える人と出会うのは、奇跡だと思うのです!
捨てる神あれば、拾う神あり!20年来の友人とそりが合わなくなって別れた後、福子さんと出会いました♪ その後、福子さんのご縁で少しずつ本音で付き合える方々に出会うことができました。今では本当に穏やかに健やかに暮らしております。
もしも今あまり楽しくないという方は、思い切って自分に向き合いましょう!嫌いな人や嫌な事を紙に書き出してみてください!そしてやりたいこと、憧れの人を書き出してみてください!
まずは自分の中身を全部紙に書き出して、捨てるか拾うかをあなた自身が自分の神となって選んでみてください。それだけで、ちょっとすっきりします。
心の整理が難しければ、まずは物の整理でもいいそうですよ!これもそれを買った過去の自分と向き合うことになります。あるいはそれがもらった物なら、過去の人付き合いや手に入れた経緯に向き合うことになるので、結局は自分と向き合うことになります。
あるいは未来のなりたい自分のイメージを強く持てるなら、それと合わなくなった物や人付き合い、仕事を整理していくという方法もあります。
他にもYouTubeでいろいろな方法を教えてくださっていますので、やりやすいことから、ちょっとでも手を付けて行動しましょう!
そうすればきっと、毎日がハッピー祭り!