時間外の少し薄暗い病院には、もう他の患者はいなかった。
「やせていますけど、大きな怪我はしていないし、食欲はあるみたいだし、大丈夫でしょう。
念のために、精密検査をした方がいいですけどね。」
いつもお世話になっているベテランの女医さんは一通りの触診をして、
「体の汚れが落ちれば、きれいな猫になると思いますよ。」と言った。
また、拾ってしまった。
自分のこの“猫センサー”の性能の良さは、なんなんだろう。
昔から、センサーのスイッチを切っておくのをうっかり忘れていると
いつも不意に、困っていますよと命がけでアピールする猫が現れるのだ。
2月半ば、わたしは冬の薄い日差しが暮れていく方向へ車を走らせていた。
大きなカーブへさしかかると、反対車線の車が
道路の真ん中にうずくまっている何かをよけられずに止まってしまっていた。
「猫だ」と気づいた瞬間、わたしは反射的に車を路肩に止めて道路へ飛び出していた。
猫を歩道へ連れて行き、「気をつけて。」と声をかけ、
無事な場所にいることを見届けてからまた車を走らせたが、どうにもこうにも心がざわついていた。
思ったよりもふわっと軽く持ち上がったな。
その軽さとぬくもりが、まだ手の中に残っていた。
「うーん、だめだこりゃ。」と自分に言い聞かせるようにつぶやき、Uターン。
しかし、先ほどの歩道に猫はもう、いなかった。
背を低くして辺りを見回してみても、いなかった。
もう少し探してみて、それでもいなかったらあきらめよう。
と、覚悟を決めて反対側の歩道に行くと、そこにいた。
なんだよ、あっさり見つけちゃったじゃないか。
「いい人に拾われたねぇ。」
後日訪れた動物病院で、いつもうちの他の猫たちを診てくれる四角い顔をした獣医さんが
精密検査の準備をしながら、診察台の上でびびっている猫に話しかける。
「はぁ。また、やってしまいました。」とわたしは力なく答えた。
他の猫たちにばれたら「また!?あんた、ほんとうにばかね!」と
いつものように怒られるに決まっている。
「しかも、今度は子猫じゃなくて、顔がデカいおっさんじゃない!きーっ、ありえない!!」なんて
言われるんだろうなぁ。
そしてわたしは「ごめんなさい」と、いつものように謝るのだ。
そう、猫はもう立派なオスの成猫だった。
片方の耳には、「飼い主のいない猫ですが去勢手術をしてありますよ」という目印の
V字のカットがしてあった。
体も顔も手も足もデカく、本当にチョビヒゲのあるおっさんのような顔をしていたため、
家人はその顔を見るたびに「おもしろい顔だおもしろい顔だ」と笑っていた。
おっさんは、食べるとき以外はずーっと寝ていた。
どういうわけか、わたしの枕が気に入ったらしく、ずーっと枕の上で寝ているので、
おかげでわたしは枕の端っこ数センチの部分に頭を乗せて眠りにつき、
朝に目が覚めると目の前には顔のデカいチョビヒゲがいるという窮屈な生活を、しばらく強いられていた。
数週間が経ち、獣医さんが処方してくれた薬のおかげで口内炎が治り、めでたくお腹の虫も退治され、
当初2.7キロという成猫の標準体重の半分しかなかったおっさんは、少しふくよかになってきていた。
ぼさぼさだった毛並みがきれいになってくると、おっさんは勝手に家じゅうを探検するようになった。
そうなると案の定、すぐに他の猫たちにばれてしまい、
おっさんと出くわしたどの猫も「ひょぇっ」と小さな悲鳴をあげたあと、すぐにわたしのところへやってきて
「また連れてきたの!?あんた、ほんとうにばかね!」とののしり、
「しかも、今度は子猫じゃなくて、顔がデカいおっさんじゃない!きーっ、ありえない!!」と
まくしたてるように怒った。
そして、わたしは「ごめんなさい」と、いつものように謝り、その場をやりすごした。
お世話になっている建築士さんが、もらってきた(というか、半ば押し付けられたような?)1匹の猫を
飼いはじめたが、「それがいつの間にか全部で5匹になっちゃって。」と照れくさそうに話してくれたとき、
「えー!5匹!?」と大笑いして驚いたのはどこの誰でもない、このわたし。
ひとごとを笑っている場合ではなくなってしまった。
おっさんがきて、これでうちも全部で5匹。
念のために、もしかしたらこのおっさんを探している人がいるかもしれないので
保健所と警察に連絡をし、迷子猫のサイトに掲載もしたけれど、一向に心当たりは見つからなかった。
そういうわけで、わたしはおっさんに、うちの家族になろうね、とまたもや猫にプロポーズしたのだった。
いつかどこかの誰かが言った、
「猫とは、この世界で唯一、人間をペット化することに成功した動物」
という言葉が頭の中でリフレインしていた。
ぐうの音も出ない。
悔しいけれど、その通りだと思う。
猫にはかなわない。降参です。
ぐぅぅ。
しばらくして、おっさんおっさんと呼んでばかりもいられないことに気づき、「里(さと)」という名前をつけた。
サトイモの「里」。
なんか、里芋のように穏やかでやさしい風味を持った性格をしていたので。
しかし、その後、里は変貌をとげる。
実は全然、“里芋のよう” ではなかったのである。
つづく。
<やました>
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