暑さ寒さも彼岸までとはよくいったもので、早朝、猫に起こされて窓を開けると、外はいつもと違う少し冷たいさわやかな朝の空気に満ちていた。
近くから、木の実をついばむ小鳥のさえずりが聞こえてきた。
「なくした物がみつかるかもしれません」
このひとこと、“今日の占い”でよくみかけるけれど、占いにそう言われて本当にみつけたいと思っている物がみつかったことなど、一度もなかった。
結局、「しょせん、占いだし。ふんっ!」なんて、なくした物の代わりに心の中のいじけ虫をみつけるのが、いつものオチ。
小学生のころ、どこかの誰かがテレビで、「“にんにく”というと、なくし物がみつかります!」と話しているのを耳にした。
そのときからわたしは、なくし物があるときは「にんにく!にんにく!!」と呪文のように唱えながら探している。
不思議なもので、この呪文がけっこう効く。
みつけたい物とまったく関係のない“にんにく”という単語を口にすることによって、ない、ない、ない、ないー!とパニックに陥った頭の中をリセットできて、それが功をなして思わぬところでなくし物をみつけられる・・・そんなシステムなのだろうか、などと勝手に分析をしてみる。
ってことは、この呪文、にんにく自体を探すときには、まったく役に立たないのであろう。
ずいぶんと長い間、探しても探してもみつからない物があったのだけれど、それがなんと今朝、突然、目の前にあらわれた。
それは、つつましく、ちょこんとテーブルの上にのっていた。
探していた物は、鍵。
やはり、玄関の鍵がないゆえに怪しく窓を出入りするという生活はどうにもこうにも不便で、よし今週末にはスペアを作るぞと、昨日、決意を固めたところだったのに。
占いに当てのない期待を抱かされていたわけでもないし、ましてや、今日は「にんにく」ってひとことも言ってはいない。
驚いた。
鍵をテーブルの上に置いたのは、家人であった。
明日1日鍵を貸してほしいという昨夜のわたしからの申し出を受け、自分の鍵を置いておいたのだと言う。
しかしながら、どう見ても、どこから見ても、目の前の2種類の鍵とキーリングの形はかつてわたしが持っていたものに間違いないのだったが、「これはわたしの鍵である」といくら言っても信用してくれない。
なんたること。
驚きの次は愕然とした気持ちがわたしを襲う。
そこで家人は自分の鞄を調べはじめた。
それみたことか、出てきたではないか、もう1ペアの鍵が。やーいやーい、ざまぁみれ。
どういうわけか、ある日わたしが使っていた家の鍵を手にして、それを自分が持っている家の鍵だと思い込み、ずっと使い続けていたのだという。
思い込みっておそろしい・・・。
かくして、驚きと愕然を乗りこえたわたしは、占いと呪文の助けを借りずとも「なくし物」をみつけられた幸運を喜ぶことにして、さわやかな朝の空気の中で玄関の鍵をきっちりと締めて家を出た。
こんな何気ない幸運ってのは、ある日突然、さりげなく訪れる。
それなら、時には「なくし物」をするのもわるくないのかな、と思うのだった。
<やました>
テレビ台、収納家具からベッドまで、おしゃれな家具がいっぱい! 家具のネットショッピングはこちらからどうぞ☆
家具通販のCOZY ROOM