週末1月21日は、土方巽さんの命日だった。
今年は稽古をつけさせていただいたあと、縁ある人の公演におじゃました。だから一日踊りを見るということで過ごすことができた。昼の稽古は〈振付・創作クラス〉と〈基礎クラス〉で、いづれも踊る身体と日常身体の相のちがいを強く感じさせられる稽古だった。踊りで振付をもらうというのは人がとても大事にしているものをもらうのだから、これは本当に踊り独自の文化だと思うのだが、この日の振付・創作クラスではいま手がけている景のおさらいをしたあと振付を味わい楽しむことと即興との深い関係について話を交わし、そのあと基礎クラスでは、さらに具体的に身体の動きを誘発してゆくための体の立ち上げ方や力加減を稽古したが、対話としても日本人の体ということや身体やダンスに対する捉え方について話が及んで、かなり重要な日になったと思う。参加の方々もこの日がどういう日なのかはご存知と思ったから、土方さんの話題はあえて出さなかったけれど、やはり自然に、この日ならではの言葉が体から出てきたのだと思えてならなかった。また、夕方に観に行った舞台というのが正確な重さに満ちていて非常に考えさせられるものだったし、たまたまお会いできた方々も沢山いられたこともあり、帰宅後は慈悲心鳥のあの少し張ったような声を思い出しながら、古い本をパラパラとめくり眺めて飲酒した。
土方さんといえば舞踏ということなのだが、僕にとっての「ひじかたたつみ」という人は、劇場・舞台というものを思い知らせてくれた人でもある。踊りの場所、つまり、「ひとの前に立つ」「ひとを見つめる」という文化を創始した古人は本当に偉大だと思うようになった大きなキッカケは、この人の公演だったのだ、と今リアルに思う。そして同時に今リアルに感じていることが、このコロナ禍のえげつなさのなかで、ようやく少しづつ劇と踊りの回復を探り始めながら、やはり、人が人の前に立つ、生身の観客が生身の演者を受け止める、ということは素晴らしいことなのだという感情の再燃である。観る、という言葉のほかに、立ち会う、という言葉があるが、これも受け止めなおしたい言葉だ。舞台芸術は、まず人がそこに居る、という大前提から始まる。聖書外典のひとつに、真を知りたくば劇場に行け、という文言があったことを思い出す。
人と人の交響が生み出す瞬間を、その凄さを、やはり思う。
コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー
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