阿部薫のLPを聴いていた。こないだ記事に名前を出したら聴きたくなった。
とても古い、真っ黒のジャケットのこれは1975年に青山で録音されたらしい。なしくずしの死、というタイトルはセリーヌから引かれている。セリーヌへの共感は僕にもある。(来月上演するソロダンスは『夜』という題名にしたがセリーヌの反映が何か出るのかどうか。夜というのは旅でもある。夜というのは鏡でもあるだろうが、、、)
ところで阿部薫のレコードは扉の開く音から始まる。いや、閉ざす音か。それ自体とても肉体的にきこえる。肉の痕跡。その男の不在。アルトサックスから、ソプラニーノへ、またアルトへ、そしてまたソプラニーノへ。という、とても長い音の旅は、とても長い対峙でもある。溶けない。個体としての音だ。
すべて管一本であるから、すべてこれは呼吸の音なのだし、音階などはなから壊れているのだから、まるごとぜんぶ、としての音なのだ。29歳で他界した阿部薫の喉が、喉のこすれが、時間やら場所やらを延長されて私の心臓に入ってくる感じがする。
※大友良英さんのこの文章にも阿部薫のことが出ていて面白いです。
櫻井郁也ダンスソロ新作公演webサイト
7月29〜30(土・日)上演
とても古い、真っ黒のジャケットのこれは1975年に青山で録音されたらしい。なしくずしの死、というタイトルはセリーヌから引かれている。セリーヌへの共感は僕にもある。(来月上演するソロダンスは『夜』という題名にしたがセリーヌの反映が何か出るのかどうか。夜というのは旅でもある。夜というのは鏡でもあるだろうが、、、)
ところで阿部薫のレコードは扉の開く音から始まる。いや、閉ざす音か。それ自体とても肉体的にきこえる。肉の痕跡。その男の不在。アルトサックスから、ソプラニーノへ、またアルトへ、そしてまたソプラニーノへ。という、とても長い音の旅は、とても長い対峙でもある。溶けない。個体としての音だ。
すべて管一本であるから、すべてこれは呼吸の音なのだし、音階などはなから壊れているのだから、まるごとぜんぶ、としての音なのだ。29歳で他界した阿部薫の喉が、喉のこすれが、時間やら場所やらを延長されて私の心臓に入ってくる感じがする。
※大友良英さんのこの文章にも阿部薫のことが出ていて面白いです。
櫻井郁也ダンスソロ新作公演webサイト
7月29〜30(土・日)上演