櫻井郁也ダンスブログ Dance and Art by Sakurai Ikuya/CROSS SECTION

◉新作ダンス公演2024年7/13〜14 ◉コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

夢の家

2012-08-25 | アート・音楽・その他
あの夜みた夢はナカナカ良かったな、とか、
あの夢に居たあの人ともう一回会いたいな、とか、
想う。
けれど、二度同じ夢は現れない。

夢日記をつけていた時期がある。
最初は思いつきで、次第に毎日のように。
面白いというよりも、すぐに忘れてしまうのが惜しくて、だったのかもしれない。

1年あったかなかったか。
いつしかそれは、普段の覚え書きや何やらと一緒くたになって自然にやめたが、
なぜか、夢を忘れにくくなっていた。

昼間の生活に比べて、眠りのなかの生活は、とにかく、心の動きが鋭敏というか、強い気がする。
眠っているんだから、からだが止まっている、
だから、心がからだの分まで働くのかしら。
夢は淡く儚いけれども、夢のなかで体験した心の動きは、けっこう人生の時間を濃厚にしてくれる気がする。

つらつら書いているが、この数日、ずいぶん夢のことを想っていた。
夢の家、という美術作品と出会ったのがキッカケだと思う。

トリエンナーレでの本番を終えての作品めぐり。そのひとコマ。
作品に心が開かれた感。

それは山あいの村に静かに佇んでいる一軒の家。雪国らしい屋根の可愛い家だ。
昼間に訪れることも出来る、夕方から宿として一夜を過ごすことも出来る。
ここでみた夢を綴って帰る人も多いようだ。
綴られた夢の記録は「夢の本」として読むことが出来る。
文字通り、夢をみるための家。
内部は、独特の色彩によって、インスタレーションによって、空間そのものの味わいによって、少し刺激的だ。
それは誰のものでもなく、同時に、誰にも開かれた、イマジネーションの場所になっている。
しかし、生活臭も消されてはいない。
家は家のまま、温かさを保っている。
おかえりなさいという声が、聞こえるようだ。
ため息をつき、水を飲み、ごろりと体を横たえたくなる。
鑑賞するとか、体験するとか、そういう感じじゃなくて、包まれるような感じ。なのだった。
場所に迎えられ、包まれて、身を委ねてゆく。
ゆっくりと過ごしていると、違和感がゆるんでゆく。
時間を忘れたぶん、夢の時間が近づいてくるようだ。

人生がいつまでも続くように思っていた頃は、夢なんか、あまり気にしなかったのだけれど、いまは、夢も大切に思えて仕方ない。

現実の記憶と同じように、夢の記憶もまた、胸のどこかに積もってゆくのを、感じる。

目覚めている間の経験が「実」で、夢の中の経験が「虚ろ」、という区別も、あまり気にしないでいるほうが楽しい気がする。

夢も現も、
どちらも経験には違いなく、どちらも生活の一側面なのだから。

『夢の家』は越後妻有の恒久作品のひとつ。夢をみるために旅をするのも一興かもしれない。
制作者はマリア・アブラモヴィッチ。尊敬している。

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