新潟公演。
おかげさまで無事に納めさせていただき、一週が経ちました。
(越後妻有トリエンナーレ2012・櫻井郁也ダンスソロ『むすび・天地礼讃内景』)
公演地の津南では、すごく充実した日々を経験することが出来ました。共同制作者の瀧澤さんご一家、泊りがけで取り組んで下さった長岡造形大学の皆さん、芸術祭スタッフの方々、町ぐるみであたたかく迎えて下さった津南町の皆さん、ありがとうございました!なんだか、本当にお世話になってしまいましたが、おかげさまで、すごく一体感のある現場になりました、春から取り組んできた全てを出し切ってがんばることが出来ました。踊りもアートも、やはり人と人、心のはたらきがカタチになるのだという、シンプルな真実に、あらためて還り着いた感がいま確かにあります。
津南の会場には予想を超える大勢の方々にご来場いただき、猛暑のなか、長尺の作品に最後までお立ち会いいただき、とても感謝しております。それから、ネット上で、メールで、感想いただいた方々、嬉しくまた参考になります。ダンスは、その場その一瞬に現れ、次の瞬間にはもう消えて観客の心にのみ残るものです。踊り手自身には決して観ること叶わぬ風景ですから、見手の感想や言葉は実に貴重な、次への橋架かりなのです。
公演当日の越後妻有は快晴。
舞台となった瀧澤さんのインスタレーション作品は、かつて多くの人が働いた織物工場跡の大空間。
まず、生活の痕跡が密かに息づく瞑想的な作品が地下の空間。次に一階。窓を封じた広大な暗闇、そこに無数のランプが淡く光るのですが、それらは地域の人が着用していた衣服で出来ています。人肌のあたたかさが微光を発しているように、僕は感じていました。この、あたたかな闇からダンスは始まりました。生気に触れること。生活の記憶や気配に帰依すること。生身が入ることで何か大切なものが壊れてはいけない。かくれんぼのように息をころして踊ることから始めました。場内は静けさが深まり続け、その静けさがダンスを支えてくれました。そして二階では、広大なスペースの天井一面を覆う白い糸。その空間作品に瀧澤さんは、ダンスのために新たに30メートルあまりの織布と沢山のライトを構成し、鮮やかな変化を演出されました。完成された美術作品をパッと有機的なダンス空間に。技ありです。カッコいいセンスだと感動。そこで、ダンスは大きな広がりへと向かいます。全ての窓が開放されたところに夏の眩しい光がさしこみ、白い世界は、もっとキラキラとしています。ここでは身体に課せるだけ課す、と決めていて、動きに動きました。拍手に送られて外気を浴びた時、青空と稲穂が眩しかったです。
瀧澤さんの作品は、清潔で力強く完成度が高い。そこに向き合うのは、勇気と準備が必要でした。
作品への共感、そして泉の如くわき続ける対話が何よりも杖になりました。素晴らしい作業を共にしていただいた。それゆえ、終えて少し寂しいくらい。本音です。
公演のあと、トリエンナーレ参加作品をいくつか観て回りました。次はその感想なども……。
おかげさまで無事に納めさせていただき、一週が経ちました。
(越後妻有トリエンナーレ2012・櫻井郁也ダンスソロ『むすび・天地礼讃内景』)
公演地の津南では、すごく充実した日々を経験することが出来ました。共同制作者の瀧澤さんご一家、泊りがけで取り組んで下さった長岡造形大学の皆さん、芸術祭スタッフの方々、町ぐるみであたたかく迎えて下さった津南町の皆さん、ありがとうございました!なんだか、本当にお世話になってしまいましたが、おかげさまで、すごく一体感のある現場になりました、春から取り組んできた全てを出し切ってがんばることが出来ました。踊りもアートも、やはり人と人、心のはたらきがカタチになるのだという、シンプルな真実に、あらためて還り着いた感がいま確かにあります。
津南の会場には予想を超える大勢の方々にご来場いただき、猛暑のなか、長尺の作品に最後までお立ち会いいただき、とても感謝しております。それから、ネット上で、メールで、感想いただいた方々、嬉しくまた参考になります。ダンスは、その場その一瞬に現れ、次の瞬間にはもう消えて観客の心にのみ残るものです。踊り手自身には決して観ること叶わぬ風景ですから、見手の感想や言葉は実に貴重な、次への橋架かりなのです。
公演当日の越後妻有は快晴。
舞台となった瀧澤さんのインスタレーション作品は、かつて多くの人が働いた織物工場跡の大空間。
まず、生活の痕跡が密かに息づく瞑想的な作品が地下の空間。次に一階。窓を封じた広大な暗闇、そこに無数のランプが淡く光るのですが、それらは地域の人が着用していた衣服で出来ています。人肌のあたたかさが微光を発しているように、僕は感じていました。この、あたたかな闇からダンスは始まりました。生気に触れること。生活の記憶や気配に帰依すること。生身が入ることで何か大切なものが壊れてはいけない。かくれんぼのように息をころして踊ることから始めました。場内は静けさが深まり続け、その静けさがダンスを支えてくれました。そして二階では、広大なスペースの天井一面を覆う白い糸。その空間作品に瀧澤さんは、ダンスのために新たに30メートルあまりの織布と沢山のライトを構成し、鮮やかな変化を演出されました。完成された美術作品をパッと有機的なダンス空間に。技ありです。カッコいいセンスだと感動。そこで、ダンスは大きな広がりへと向かいます。全ての窓が開放されたところに夏の眩しい光がさしこみ、白い世界は、もっとキラキラとしています。ここでは身体に課せるだけ課す、と決めていて、動きに動きました。拍手に送られて外気を浴びた時、青空と稲穂が眩しかったです。
瀧澤さんの作品は、清潔で力強く完成度が高い。そこに向き合うのは、勇気と準備が必要でした。
作品への共感、そして泉の如くわき続ける対話が何よりも杖になりました。素晴らしい作業を共にしていただいた。それゆえ、終えて少し寂しいくらい。本音です。
公演のあと、トリエンナーレ参加作品をいくつか観て回りました。次はその感想なども……。