櫻井郁也ダンスブログ Dance and Art by Sakurai Ikuya/CROSS SECTION

◉新作ダンス公演2024年7/13〜14 ◉コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

さらば愛の言葉よ:ゴダール再見

2020-04-05 | アート・音楽・その他

 

 

 

どこへ、、、。

  行くべき所へ、、、。

 

 

「もうすぐ誰もが通訳を必要とする。自分の言葉を理解するために。

 

「人は生まれてすぐに他者になる。

 

「私は、ノン、というために居る。

 

「私たちは互いが夢見る人だ。

 

いづれも、『さらば愛の言葉よ』という映画の台詞。ゴダールの映画のなかで、僕が好きになれた一本。勝手にしやがれ。パッション。ドイツ零年。そしてこれ。

 

空の雲の陰影、川の流れ、男と女の居場所、それらに言葉が重なってゆく。これは言葉についての映画。つまり関係についての、愛についての映画だ。

 

ウイルスによって切断の危機にあるものについてのさまざまを、この映画から感じてならない。おもえば映画とは切断されたものの再構築でもある。

 

結末から逆算したような映画が多くていやになるが、この映画には結末がない。あらゆる会話にも結末がない。

 

会話は会話を生みつづけ、イメージはイメージを生みつづける。

それが僕らのいまの日々にダブる。

 

僕らにとって、すべては始まりの連続なのだということを、この作品から確かめる。

これはダンス的な映画だと思う。冒頭5分そこそこで、そう感じる。

 

愛の問題と政治の問題、政治の問題と現在の問題が、混在する。

僕らの現在に関係している。

 

多くの映画が世界を解釈しようとするのに対して、この映画は解釈を捨てる。

 

これは、ひたすら世界を見て聴いている映画だと、僕は思う。

 

画面のどれもが、これみよがしでない。

すべては通過点、流れのなかにある。

そう感じ、そこに共感する。

 

ゴダールは、クリエイターではなく「引用者」であろうとする。

これが、すこぶる重要だと思う、連帯する。

世界を聴きたい、世界を見たい。

 

「おお言語よ」という台詞もあった。

心に焼き付く。

言葉について考える、ということは、革命者であろうとすることに近しいと僕は思う。

 

ふと思う。現代史は革命史なのかもしれない。

停滞や絶望もふくめて、どこかでなにかに抵抗するかぎり、革命は現在進行中なのではないか、、、。

そんな声が、画面から聴こえてくる。

 

ゴダールの映画の奥には、反抗がある。

尊敬する。

 

 

【追記】

トップダウンによる東京自粛に震えつつ、いくつもの映画やダンス映像を見まくり本を読みあさる、そのなかの一本が上記の映画だった。

ときめいたものについて順次書きたい。

 

 

 

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