身体の現在からしか作品はうまれない。ダンスの宿命だと思う。
僕の場合、発想は運動からしか起きないから、いつも徹底的に動くしかなく、動くとき初めて考えも働き始める。身体に向き合う、などと格好良く語る感じでもなく、ただただめちゃくちゃに動きまわっている毎日が、いまこの季節である。
カラダとの付き合い方からおのれの根性がいかほどか自らに透ける。そう何度も何度も感じてきたが、稽古というのはいまだやはり、わからない事だらけになる時間でもある。わかった気になっていたのが実はわかっていなかったとわかる。曖昧にしていることが目立って気になる。カラダは誤魔化せない。ダンス作品を作るのは自分を試される。
面倒なことが沢山で、心配がつのる時間だ。その割に目立って何かが起きない時間だ。しかし、ささやかな出来事が起き続けている時間でもあるのではと、思う思いもする。
過ぎてゆく時間。つまり、人生の多くを費やす地味な時間。これらの時間こそがダンスの根っこなのだと最近になって実に思う。日常こそ宝か、そう思うことが増えている。
舞台の方向性が次第にみえてきたか、、、。
いよいよ作品が芽を出すかどうか、、、。
※文章=稽古ノートより