新藤兼人監督が新作映画を撮ったという。その現場ドキュメントをNHKテレビで観ることができた。新藤監督は98歳。遺作になるかもしれないことを、ご本人はじめチームの人々みなが意識しているとのこと。そして、この映画で新藤さんは初めてご自身の戦争体験を描こうと決意されたのだという。
制作資金の半分が集まった、足りないが今スタートしなければ。やりましょう。
そんな、息子さんの声から現場が動き出す。
撮影が始まるよ、おじいちゃん、おめでとう。アシスタントを勤める孫が声をかける。
そして人が集い、語り合い、行動を開始する。
そんな風景からドキュメントは始まった。素敵だ。
新藤監督の作品には、生の臭いが生々しく香る。スクリーンの背後に、強い意思とリスペクトのつながりと人が力を合わせる熱があり、その迫力が希望を生む。
僕が初めて新藤監督の作品を観たのは18歳、強い衝撃を受けた。踊りでの土方、演劇での寺山に匹敵するようなインパクトを、新藤兼人と近代映協の映画から感じた。『裸の島』。台詞が一切ない緊迫した演出、奥様であった乙羽信子さんの演技の凄まじい集中力とリアリティ。幾千もの言葉を積み重ねたからこそ生み出され得る強靭な沈黙が、モノクロームの画面から溢れ出て、生きた匂いや湿度までが心を揺さぶるのだった。高校生の頃に、初めてシナリオというものを通読したのも、新藤監督の『愛妻物語』だったから、僕にとっては創作という世界への、かなり強い道しるべとなった人の一人だ。
ドキュメントは新藤監督の日常や現場での行動や言動を詳細に伝える。粘り強い推敲、膨大なスケッチ、ひとつの言葉ひとつの動作に込めるメッセージの重み、個の真実に対する誠実さが溢れ出る演出風景。
創るということ。助け合うこと。つながり合うこと。メッセージの鎖を編むこと。生きざまを露出すること。
改めて、この人の姿勢にうたれた。
生きているという事は、遺されて在るということでもある。ただ日々を過ごしているようでも、実は「生き残って」いるのである。
その意味を繰り返し問い続け、
細やかに形にしてゆく。それが次に生きる者に遺されて道を繋ぐ。そんな行為を「真面目に」し続けているすごみ。生きている限りひとつの仕事を続けてゆく、ということ。
これを本当にやり遂げるのは、
誰もが出来ることではない。
撮影終了の日、監督はスタッフの機材にサインをする。
「生きている限り」
また背を押された。
来年、作品は公開される。
その頃、新藤監督は99歳になる。
制作資金の半分が集まった、足りないが今スタートしなければ。やりましょう。
そんな、息子さんの声から現場が動き出す。
撮影が始まるよ、おじいちゃん、おめでとう。アシスタントを勤める孫が声をかける。
そして人が集い、語り合い、行動を開始する。
そんな風景からドキュメントは始まった。素敵だ。
新藤監督の作品には、生の臭いが生々しく香る。スクリーンの背後に、強い意思とリスペクトのつながりと人が力を合わせる熱があり、その迫力が希望を生む。
僕が初めて新藤監督の作品を観たのは18歳、強い衝撃を受けた。踊りでの土方、演劇での寺山に匹敵するようなインパクトを、新藤兼人と近代映協の映画から感じた。『裸の島』。台詞が一切ない緊迫した演出、奥様であった乙羽信子さんの演技の凄まじい集中力とリアリティ。幾千もの言葉を積み重ねたからこそ生み出され得る強靭な沈黙が、モノクロームの画面から溢れ出て、生きた匂いや湿度までが心を揺さぶるのだった。高校生の頃に、初めてシナリオというものを通読したのも、新藤監督の『愛妻物語』だったから、僕にとっては創作という世界への、かなり強い道しるべとなった人の一人だ。
ドキュメントは新藤監督の日常や現場での行動や言動を詳細に伝える。粘り強い推敲、膨大なスケッチ、ひとつの言葉ひとつの動作に込めるメッセージの重み、個の真実に対する誠実さが溢れ出る演出風景。
創るということ。助け合うこと。つながり合うこと。メッセージの鎖を編むこと。生きざまを露出すること。
改めて、この人の姿勢にうたれた。
生きているという事は、遺されて在るということでもある。ただ日々を過ごしているようでも、実は「生き残って」いるのである。
その意味を繰り返し問い続け、
細やかに形にしてゆく。それが次に生きる者に遺されて道を繋ぐ。そんな行為を「真面目に」し続けているすごみ。生きている限りひとつの仕事を続けてゆく、ということ。
これを本当にやり遂げるのは、
誰もが出来ることではない。
撮影終了の日、監督はスタッフの機材にサインをする。
「生きている限り」
また背を押された。
来年、作品は公開される。
その頃、新藤監督は99歳になる。