櫻井郁也ダンスブログ Dance and Art by Sakurai Ikuya/CROSS SECTION

◉新作ダンス公演2024年7/13〜14 ◉コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

オイリュトミーってどんな踊り?

2010-10-21 | ダンスノート(からだ、くらし)
「わたしはコトバを考える」
「わたしは語る」
「わたしは語った・・・!」
そんなかけ声にあわせて、みんなで胸をパッとひらき、手足をうんと伸ばす。
オイリュトミーのクラスでは、これを毎回最初に行なうんです。

さまざまな言葉が行き交うなかで僕らは日々を暮らしているけれど、言葉ってとてもすごい力を持っていますよね。ちょっとした言葉に心は動かされ、心の変化は体の変化にもつながってゆく。正しいことも言うし、間違ったことも言っちゃう。誰かを励ましたり、時には傷つけちゃったりもしてしまう。そのたび、自分自身にも何かが起きる。言って良かった言葉、言わなきゃ良かったのにって悔しくなるような言葉。それら、さまざまな言葉を受け止めあったり、許しあったり、悲しんだり、喜んだりしながら、また新しい言葉を、ほんとの気持ちが伝わる言葉を、さがしながら少しずつ人生が流れてゆく。
思えば、この世にうまれたその日から、僕らは言葉の響きにつつまれ、そのなかで手足を伸ばしたり笑ったり泣いたり。お母さんやお父さんの声に励まされるようにして、やがて立ち上がり、歩き始めたんですよね~。

言葉とは命の響きなのかもしれない。
ア~、という声。赤ちゃんの声、困ったときの声、感動したときの声。
いろんな気分が、そこには込められます。

アイウエオの母音のすべてに、いろんな明暗や色彩や気分があり、声に乗って心のカタチが伝わってくるようです。子音の数々は風や水や石のように、時に柔らかく、時にくっきり硬く、アイウエオの母音に結びついて、何かを形容しようとする私たちの衝動を反映し、言葉にハッキリとしたリズムや勢いを加えて意味を生み出そうとします。これら、言葉の一音一音が魂に働きかけることで、私たちにはさまざまな想像力がわいてきます。そんなはたらきを、むかしの人たちは言霊(コトタマ)と形容して尊んだそうです。そんな、コトバのエネルギーを踊りによって全身で味わい、生きていることの喜怒哀楽や自然や宇宙への愛おしみを深めていきたい!というのが、オイリュトミー(EU-RYTHMY)の大テーマなんです。
コトバを踊る、っていうのは珍しいようですが、たとえば狂言も能も、その舞いにはコトバの力が強く宿っていますよね。それでいて身振りが意味を説明しているわけではなく、ことばーからだー世界、というものが響きあいながら寄り添って大きな大きなうねりになって心に染み込んでゆく。あの感じとオイリュトミーはどこか近しいかもしれないです。もっとサラサラと流れるように動きますけれど、でも、大事にしようとするところは多々重なる気がします・・・。

視点を変えてみれば「言葉を語る」ということ自体が「ノドと大気と心の熱のダンス」なんですよね。人と人がコミュニケーションする、その一歩手前に、人は世界そのものや自らの内面とコミュニケーションして、ア~~ッ!なんて思いを声に出す、それはやっぱりダンスなんじゃないかしらん。

そのような、言葉の一音一音に耳を澄まし、その感触を感じ、体を共振させるように動いてゆく。精神の発露たるコトバのエネルギーに寄り添い、踊りとしてカタチにしてゆく。そんな作業を通じて、さまざまな人の思いを深く味わおうとする踊りのスタイルが『オイリュトミー』です。例えば「こんにちわ」を踊ろうなんてときは、まず、こオ~んン~にイ~ちイ~わア~~・・・。みたく、声が響いてくる感じを表現してみる。これは「ハロー!」って言うのと、意味は同じでも全然違ったバイブレーションなんだなって体験できるから、踊りとしては違った動きが出てくるんですよね。そんな稽古を重ねていますと、例えば北原白秋とかリルケとかランボーとか、それぞれの独特の感性がぐっと迫ってくるんです。コトバが生きものみたいに感じられるというか・・・。僕が踊ってみた中では、ダダイズムの詩なんか目とアタマで読んでいると何だか解りにくい感じなんだけど、だーだー、なんて踊りに変えてみるとえらくノリの良いアクティブな感じがありましたっけ。それから、日本語には日本語の味わい、フランス語にはフランス語の味わいがあるなあ、なんていうのも、体で感じるとぐっとリアル。ああ、こういう響きの中で、この人はこの人になったんだな。人ひとりひとりの背景には、それぞれの言語が第二の風土としてあると思うんですが、誰かのコトバを踊ると、その人の背景とも触れ合っているような感じがします。

もちろん音楽も踊ります。音楽も響き。(きょうは長過ぎるので機をあらため詳しく書きますけど)音楽も魂の発露ですが、そこにはさらに自然の音と遊び響きあうような歓びもありますよね。音と音が戯れ合う、その豊かさを感じ踊ることには、世界の広がりや、流れ深まりゆく時間に心身をゆだねていくような感動があります。リズム、ダイナミクス、トーン、ハーモニー、明暗、ざわめき、おちつき、強弱、そして、しじま・・・。音楽の響きを、溶け込むような動きによって味わい尽くしていきたい、音楽の力を最大限に呼吸したい!という踊りかたをするんです。

つまり、オイリュトミーとは、耳を澄ましながら全身を鼓膜のようにして運動し、そこで生まれた踊りを通して、言葉や音楽の魂への働きかけをよみとろうとするものです。そして、そのためのシステムが、オイリュトミーの独特の型や動き方です。オイリュトミーで使われる動きは、おぼえるためというよりは、よけいなことをしないで、響きに集中するために用意された動きとも言えます。だからとてもシンプルです。そのぶん、やればやるほど味が出てくる感じがします。気持ちよく動けたときには、身も心も全部使って読書したり音楽鑑賞したような、いいかんじの充実感が出てきます。体験して、練習に慣れて、やがて、カラダが変わってゆくというプロセスのなかで、僕の場合は以前よりも人や世界が好きになっていました。踊りの作用って、不思議だなあって、思います。
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