「血はじぶんじしんのために使い切るもの」
という言葉をふと思い出した。茨木のり子さんの詩にあった。
これは今このような時代にあって、とても深く響いてくる言葉だと思う。
昨冬だったか、この人の肉声が公開されたのをほんの少しきいた。
自分を発見し続けてゆくこと、と確かそう仰った声がとりわけ記憶にのこっているのだが、これは何も詩を書く場合だけでなく、いろんな人に対して仰ったのだと思えた。
もちろん、踊るということでも全くピタリと当てはまる。稽古をしていても作品を作っていても、舞台でも舞台でなくても、そこにはいつも血の流れている自分が立っている。当たり前のようだが、発見だ。そう気づかされることがある。
あまりにも有名な詩が多いが、やはり時々読む。この人の詩を読むたび、いつも、あなたはあなた自身として今を過ごしてますか、という質問が聞こえるような気がする。
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