半年ほど前に、西荻のプラサード書店から何か推薦図書をと言われて『ニジンスキーの日記』にしていただくようお願いした。
ニジンスキーは天才とか伝説と言われる。いまニジンスキー自身のダンスを体験することはできない。が、この日記を読んでいると、想像が非常に細かくひろがってゆく。
迷路のように言葉がさまよう。言葉は声だ。つまり体内の熱の一部だ。言葉は映像よりもリアルだ。しばしば親近感さえおぼえる。声をも思い浮かべてしまう。
多くの言葉は遠くにあるが、ほんとうにそうだなあと頷いてしまう言葉がたまにある。それが胸に刺さる。
生命について、惑星について、太陽について、地球の資源や地震について、書き続けている部分がある。冬だったと思うが、そのうちの一言について書いたことがある。それは「知性は火が消えて分解した太陽だ」という一言で、僕にはずっと気になる一言だ。それはやがて「私の中の火は消えない」という一言に続く。
1919年といえばロシア革命が勃発した頃だが、ニジンスキーは妻に「私は神と結婚する」と告げ、取り憑かれたように戦争を主題に踊ったという。ちょうどその公演日からチューリヒの精神病院に行く前まで書かれた日記がこれである。
のちに狂気と結びついた人だが、ここに書かれている言葉はその精神がこわれてゆく前のぎりぎりの日々に、正直に心の中をそのまま書いたように思える。
道徳とか常識とかに合わない点もあるかもしれないが、これは日記なのだから社会とは別の、個人空間の言葉なのだから、あたりまえだとおもう。かえってまともに思える。
本は、じつは二種類出ている。ひとつは市川雅先生の訳。もうひとつは鈴木 晶さん訳の新しい完全版。前者の原本はニジンスキーの妻が多少の編集を入れているらしく、後者は書かれたままを翻訳されたのだという。両方とも読むのが面白いと僕は思う。印象がちがう。この数日で双方をまた読んだが、やはり良かった。