身体に同じ一瞬というのが無い、ということを、踊れば踊るほど感じます。
身体とともに、すべてはうごいて、イメージと身体と、どちらが速いのか、ときにわからなくなります。
しかし、踊り、ということになるのは観て下さる方との向き合いのなかで、初めてなのですから、おのれの身体と向き合っているだけでは、踊りにはならないので、今は、もうすぐもうすぐと思いながらも、毎日どこまで変容してゆくのか、という時期です。
そのような追い込みの稽古に向かう道に、きのう今日とまた寒くなってしまったけれど、でも、もう咲き始めた花はきりっとして咲いているのには、
すこぶる、励まされます。年々、そうなっている。震災をはさんで、年々。
冷たい雨のなかに花、蕾、と、、、。
ピンクや白に、ほどけゆく緑にきづくとき、
それらが光に思えてしまいます。
地中の闇に関係してゆく根の呼吸が、地上に外部に空中にのぼって散らばろうとするとき、このような柔らかさと色彩を帯びて、光ってゆく。
木は、草は、地の底の、沈黙を、呼吸し、鮮やかな色彩と生気にして空間に散りばめてゆく。それで、世界が少し明るくなるのでしょうか。
花が咲くというのは、古い何かが燃え尽きて新しい何かに存在を託す瞬間でもあるのでしょうから、そういう哀しみもあるから、命が入れ替わるときの何かが心に入ってきて、ハッとさせられるのでしょうか。
花が明るく力強いのは、生死の仕組みがそこからこぼれてくるからなのでしょうか。
あるいは、命が命をけずるときに光を発する、その瞬間が花になるのでしょうか。
毎年毎年、花に対する吐息やら感情の高ぶりが増えてゆく、
揺さぶられます。花は、存在の宣言のように思えます。
綺麗な、とか、可憐な、というだけではなくて、
なにか良いことが、なにか明るいことが、
これからここに必ず来るのだ、
という予感を、僕たち人間に、与えてくれるような気がしてなりません。
(つづく)
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