ソロ公演には、一回一回の本番に独特な出来事があり、その体験と作品はセットになって記憶され、そして、その記憶の反芻が、新しい作品の種になります。
僕の場合、ダンス公演は、毎日の細かな感情の蓄積や、身体を通じた経験や、それらを元にした振付の反復、そこからまた出ては消える思考の「かたまり」によって生み出されます。
踊りに集中が高まる中で、次第に、自分の元々の考えや経験が、いったんグラグラと不安定になって、崩れてゆくような心地になることがあります。
そこには、踊りという言葉をも忘れさせ、カラダという観念をも、ぐらつかせてゆくような感覚が伴います。
解体してゆくこと、解体されてゆくこと、、、。
ダンスは、僕にとって、ある種の分解的な作業なのかもしれない、と、ときどき思うことが、最近少しあります。
そのような記述がいくつも、今年前半のノートにあり、見つめています。
7月半ばに行った今年のソロ公演から3ヶ月目に入り、新たな作品への試行錯誤が始まっています。
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