その1:彫刻家の藤井健仁さんが、岡本太郎賞受賞後、最初の個展を。一見、ムシやネコに見える、ユーモラスなモチーフの数々が並んでいますが、じっと佇んでいると、強く感じられるのは、「鉄」の臭気と重量感、そして、それらが「手」の作業の軌跡として、そこにあるということでした。執拗な研磨によって現れた艶とコントラストを成すいくつかの傷あと、淡く進行しつつある腐食の予感などなど、モチーフを越えたところにある存在感が読みとれた瞬間、可愛くも悲しい表情の鉄のマスコットたちは、どう猛な悲鳴をあげる鉄塊としてコチラを見つめ始め、ギャラリーの白い壁さえもが、なにやら物言いたげなたたずまいを見せ始めるのでした。今回の仕事、「物質との共犯関係」とでも呼びたい気分・・・。
ストライプハウス・ギャラリー
その2:フィンランドの美術家、エイヤ=リーサ・アハティラさんが、森美術館のストーリー・テラーズ展にて紹介されています。こちらは映像です。会場の六本木ヒルズは相変わらずの人混み&大きな企画展。なので、観光地に迷い込んだようで、実はちょっと大変なんですが、ぐっと気を静めて彼女の作品に向かい合うと、やはり衝撃的。フェミニズムや不条理性を入り口としたサイコロジカルなテクストを周到なカッティングとカメラワークで「映画化」し、その素材=映画が、マルチディスプレイとして「展示」されているわけですが、そこに提示されているのは、やはりコミュニケーションという名の深い闇。そして、その闇にじっと向かい合っている人間の「構え」というもの。映画館やプライヴェートな視聴環境から、展示室という場所に突き放したときに、映画はやはり構造物としての孤独にさらされ、見る側も「鑑賞」か「観察」かという、行為の質の選択を迫られてしまいます。芸術は、愛にも匹敵する傷つきやすいコミュニケーションであるということを、この作家は示してくれているように感じました。
森美術館
ストライプハウス・ギャラリー
その2:フィンランドの美術家、エイヤ=リーサ・アハティラさんが、森美術館のストーリー・テラーズ展にて紹介されています。こちらは映像です。会場の六本木ヒルズは相変わらずの人混み&大きな企画展。なので、観光地に迷い込んだようで、実はちょっと大変なんですが、ぐっと気を静めて彼女の作品に向かい合うと、やはり衝撃的。フェミニズムや不条理性を入り口としたサイコロジカルなテクストを周到なカッティングとカメラワークで「映画化」し、その素材=映画が、マルチディスプレイとして「展示」されているわけですが、そこに提示されているのは、やはりコミュニケーションという名の深い闇。そして、その闇にじっと向かい合っている人間の「構え」というもの。映画館やプライヴェートな視聴環境から、展示室という場所に突き放したときに、映画はやはり構造物としての孤独にさらされ、見る側も「鑑賞」か「観察」かという、行為の質の選択を迫られてしまいます。芸術は、愛にも匹敵する傷つきやすいコミュニケーションであるということを、この作家は示してくれているように感じました。
森美術館
僕も岡本太郎美術館で藤井健仁さんの作品を見ました。
その時並んでた鉄仮面からは、嘆きの中にどこかほほ笑ましさを感じました。鉄仮面をかぶることを強制されている人々、厚顔と言われている人々が並んでいましたが、具体的な鉄の顔が、逆にモチーフの本人達に人間味を与えているように思いました。
その時上映されていた短編映像がすごく「笑える」作りになっていて傑作でした(演歌をバックに鉄仮面、作り手さんが侍姿で抜刀)。
芸術に於ける呪術性とある種の可笑し味の関係ってあるんだろうなぁなんて思ってたので、すごく興味深く見ました。