9月の亀楽ライブでもアナウンスがあったが、その前からチェックしてたので、初めて向日市でずっと月イチ行われているイベントに行く。
クリさんワークショップ仲間のまさこさんとまんさんと、阪急東向日駅から向かうことにして電車を合わせて。十三で合流し準急で40分ほどの旅。ずっと前にほっこり弟国に行って以来の東向日、こんな駅やったっけ?駅前でランチを済ませ、いざ会場へ。
1Fには売店があり、ちょうど生産者さんが万願寺やオクラを持ってこられた。新鮮でとてもおいしそうだったので、すぐ購入。野菜を持って2Fに上がった。
本来はじゃんけんで順番を決めるらしいのだが、この日はうめなかさんがトップやります、ということで開場しているのだが、リハ中。
クリさんにご挨拶。
おおっ!Catskill MountainsのTシャツ。Ashokan Farewellはこの中にあるダムの名前からとられたらしい。
そのクリさんも音出し。
時間になったので始まる。
1バンド30分、なのでじっくり聴くにはちょっと足りないかも、だけどフェスよりはずっといい。リハではチャバネゴキブリの歌を歌われた、うめなかのおふたりだが、『おもいでのアルバム』というかいらしい曲から始まった。子どもたちが小さい頃、学校で歌ったよねえ。レゲエ風『みんな夢の中』、冬限定のチョコレートラミー愛を歌った、『愛しのラミー』(愛しのエリーのメロディで)などを歌われた。
座骨神経痛のあるなかせさん、ちょっと休憩瀬なあかんから12月の単独ライブは中止、とのこと。楽しみにしてたのにな。向日市の歌を『夜空ノムコウ』のメロで作らはったうめはらさんは、さすがやった。ほんまは昔の都やったんやなあ、激辛の町。で、終了。場所が真ん中の真ん中あたりだったので、なかなか写真が撮れず、気づいたら終わりでステージをあとにされるところだった。
そうそう、キーボード持ってはったけど、いっぺんも使わず帰られたな。
二番手はクリさん、『花』のメロディで秋野菜の歌、ディランのThe Times They Are A-Changin'によく似た歌、とか選挙がらみの『世襲』
そして、私に歌詞をくださった、『遠い夏の日』、S水さん作詞の『笑ってるのだあれ』など。ご本人も30分は短い、と言われてた。
1曲入魂コーナー(というのがあるらしい。お客さまで歌いたい方が抽選で出られるそうな。私がオートハープのケースを持ってきてたのを見て、何人か「出る気やな」「出るんでしょ?」と言われたけど、あれはケースだけ、しかもクリさんに言われて持ってきたので違いますっ。ギター貸しますよ、とお声かけもいただいたのだが、今回は聴きにきましたので、とお断りした。
そのコーナーでオリジナルを歌われたのは、クリさんの大学のサークルの後輩、T内さんだった。関空方面から来た、と言われたので、まさこさんが、「小春」というお店ご存じですか、と聞かれたら、やはり知っておられたし、行かれたこともあるようだった。
次はこのイベントを主催されている、Buddyのおふたり。T田さんは司会をされていた。
N村さん、以前私の亀楽ソロに来てくださったことがあり、ここでもやってください、と声をかけていただいた。
僕らは70年代ごろのフォークをやってます、と私の耳にもなじみのある曲をいくつも。ヤマハが売り出そうとしたけどダメだった、というボビーの『琥珀色の夢』、スピッツの『ロビンソン』これは70年代じゃないよな。布施明の『落ち葉が雪に』この歌好き。うめはらさんがリクエストされたらしい。ふきのとうの『風来坊』など。アンコールはフォークルの『ユエの流れ』だった。
最後はおつるさん。先月、亀楽で聴いたけど、今回はキーボードのサポートやいつものバンジョーやマンドリンはなし。まずはひとりで『風に吹かれて』、千詩亜さんの詞におつるさんが曲を付けた、子犬の気持ちを歌った『あなたに会えてマリアから』
サポートするべくスタンバイされてたおふたりは、いったん横に退く。
N村さんと『風は激しく』
寛悟さんのクラリネットとクリさんのオートハープが入って、『Gold Watch & Chain』(日本語)、バラーズの『思いあふれて』、アンコールは私もこの詩がとても好きだな、といつも思う(けどやっぱり英語で歌ってしまう)『I Wonder Where You're Tonight』
終わってから出演者の記念撮影、を撮るわたし。
こんな感じ。初めて行ったけど和気あいあいといい感じのステージだった。客席の方は予備の椅子も途中から出され、トイレに行くのもちょっとすみません、状態の超満員だった。最初はお客さま3人、って言われてたな。
帰りも阪急で、とJRの駅を横目に通り過ぎる。
からっきーというらしい向日市のゆるキャラを撮る同行者たち(私も撮ったけど)だったが、ふと見るとマサキさんが車から呼んではる。
駅まで送ってあげよう、という申し出を喜んで受けて、向日市を後にしたのだった。